【昭和~平成スター列伝】WWEプロレスの祭典「レッスルマニア41」(現地時間20日、21日=米ネバダ州ラスベガス)は今年も激闘の連続で大成功を収めた。大会に先駆けて発表された名誉殿堂「ホール・オブ・フェイム」のレガシー部門では、ジャイアント・キマラで知られるカマラ、ドリー・ファンク・ジュニアの父ドリー・ファンク・シニア、“雷帝”ことイワン・コロフの日本でもおなじみの3人が殿堂入りした。

 特にコロフは息が長い名ヒールで日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスと昭和期の全団体に参戦した。初来日は1967年9月。その後、WWWF(現WWE)でロシア人キャラクター(実際はカナダ出身)として頭角を現した。

 71年1月にはMS・Gで“ニューヨークの帝王”ことWWWF世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノを撃破する大番狂わせで王者となった。わずか21日でペドロ・モラレスに敗れ短命王者に終わるも、評価を高め同年6月に約4年ぶりに来日。同29日東京都体育館でジャイアント馬場のインターナショナルヘビー級王座に挑戦。東スポは1面で詳細を報じている。

馬場の16文キックがコロフの顔面に炸裂
馬場の16文キックがコロフの顔面に炸裂

「スタートから145キロの馬場と136キロのコロフが肉体をぶつけ合う大肉弾戦。1本目は馬場がコロフの肉弾重爆撃を自爆させ、一気にネックブリーカードロップを爆発させて先制(14分36秒)。2本目はコロフが死に物狂いの反撃で捨て身のタックルで場外に吹き飛ばすと急所蹴り。リングにカウント17で上がった馬場にフライングボディープレス(肉弾重爆撃)1発でタイに(1分8秒)。決勝ラウンドは凄まじい殴り合いになったが、馬場はコロフの額を鉄柱にぶつけて、血まみれにして脳天チョップの乱打。16文キックのカウンターから必殺の32文ドロップキック。血の海に沈んだコロフを押さえ込んで豪快な決勝フォール(3分54秒)。王者の貫禄を見せた圧勝だった」(抜粋)

 決して器用な選手ではなかったが、悪役としてのセンスは突出していた。だからこそ30年以上も来日できたのだろう。コロフは同年7月1日にダッチ・サベージと組んで馬場、アントニオ猪木のインターナショナルタッグ王座にも挑戦した。AWAに主戦場を移すと、73年からは国際に参戦し、同年5月15日にはストロング小林のIWA世界ヘビー級王座にも挑戦している。

 75年からは新日本に参戦し、76年12月2日大阪では猪木のNWFヘビー級王座に挑み、猪木を苦戦に追い込んだ。キャリア晩年の90年には全日本にも参戦した。主要4団体すべてに来日し、BI砲とそれぞれシングルの王座戦を争った例はほとんどない。“雷帝”として生涯悪役を貫いた生きざまはまさに「レガシー」の称号にふさわしいものだった。 (敬称略)