【昭和~平成スター列伝】全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者で“最強”と呼ばれた故ジャンボ鶴田さんが2000年5月13日に亡くなって25年がたった。数多くの王座を獲得し名勝負を残した鶴田だが、中には珍しい試合も含まれている。

鶴田のジャーマンが崩れ両者同時体固めの裁定が下った
鶴田のジャーマンが崩れ両者同時体固めの裁定が下った

 最近では新日本プロレス9日の米カリフォルニア州オンタリオ大会で、IWGP世界ヘビー級王者の後藤洋央紀がザック・セイバーJr.とダブルフォールという形で引き分けに終わり6度目の防衛に成功したが、鶴田も1982年6月8日の東京・蔵前国技館大会で、ダブルフォールを経験している。相手はリック・フレアー。NWA世界ヘビー級王座に挑戦した大勝負だった。本紙は1面と2面で詳細を報じている。

「ゴングと同時に鶴田が押しまくった。ジャーマンスープレックス、ダブルアームスープレックスと大技のラッシュ。フレアーはラフ殺法で食い止めようとするが、鶴田の意気込みはハネ返せない。フレアーが4の字固めを仕掛ければ、鶴田は殺人投げ。一進一退の攻防が続く。鶴田はジャンピングニーパットで場外に落とすと、上がった瞬間に必殺の延髄斬り。しかしフレアーは鶴田にしがみつくや場外へ。鶴田はパイルドライバーから鉄柱攻撃を狙うが、フレアーが自爆させリングへ。態勢を整えた鶴田は勝負をかけた。豪快なジャーマンスープレックスホールド、決まった! だがこの瞬間、フレアーも思い切りコーナーを蹴っていた。捨て身の逆襲だ。すさまじい勢いでマットに叩きつけられる鶴田とフレアー。両者ともピクリとも動けない。カウントが進む。ワン、ツー、スリー。鶴田が最後の力をふり絞ってブリッジするが、非情のスリーカウントは鶴田の頭上に告げられていた。13度目の挑戦でつかんだ鶴田のビッグチャンスは“0・X秒”というきわどい差でまたも“善戦”に終わってしまった」(抜粋)

 記録は「29分11秒 両者同時体固め」。結局、その後も鶴田は何度もフレアーに挑戦しながらベルトは奪えなかった。

 和田京平名誉レフェリーは当時を述懐して「何度やっても勝てなかった。当時のフレアーとは天と地の差があったし、とても手が届くものではなかった。馬場さんが取ったのだって奇跡ですよ。ただジャンボはNWAに何度も挑戦することでレベルを上げていった。だからAWA世界王座を取ることもできた(84年2月23日蔵前)。これだって奇跡。叩かれて叩かれてやがて怪物になっていった。天龍さんとの激闘を経て、三沢や川田の壁になった。最強になって全日本のレベルを引き上げた。それもNWA王座戦での苦労があったからでしょう」と語った。

 この試合を含め“善戦マン”から怪物へと進化したのは、NWA戦で喫した多くの屈辱が基盤となっていたに違いない。 (敬称略)