【平成球界裏面史 近鉄編38】平成17年(2005年)、合併球団オリックスバファローズは新たなスタートを切っていた。2月の春季キャンプ地は以前から引き続き沖縄・宮古島。そこに坂口智隆は「イチロー二世」との期待を受けて参加していた。
そしてキャンプ第2クール初日となった2月6日には、イチローと顔を合わせることになった。合併球団の指揮官となっていたのは仰木彬監督。恩師を慕い、マリナーズのイチロー氏が宮古島を訪問した形だ。
イチローは前年の04年、シーズン262安打の大リーグ記録を樹立したばかりだった。世界一の安打製造機を追いかけて、宮古島には多くの取材陣が詰めかけた。
プロ3年目を新天地で迎え、1軍キャンプメンバーに抜擢されていた坂口も世界最高水準の打撃技術に目を奪われた。幼い頃からグリーンスタジアム神戸に足を運び、声援を送っていたスター。ホンモノと同じ空間で練習できることが信じられなかった。
午前の練習が終了し、メニューがランチ特打に移ろうとしたタイミングだった。仰木監督は「おい、イチローと一緒の班で打ってみんか」と坂口に指示。オリックスのレジェンドと新球団の歴史を築いていく若手が「51」、「52」を背負って同じグラウンドに立っていた。
宮古島で使用していたグラウンドは右翼方向から強風が吹いてくることが多かった。それでも低いライナー性の打球で柵越えを連発するイチローの技術は誰が見ても見事なものだった。坂口も懸命にバットを強振したが次元の違いは歴然だったはずだ。
ただ、仰木監督の心遣いを坂口が感じないわけはなかった。近鉄から来たお客さんではなくオリックスバファローズの一員として期待されていることを肌で感じた。05年の坂口は一軍出場わずか6試合に終わり、他界した仰木監督の目の前で恩返しをすることは叶わなかった。それでも翌年の06年には28試合に出場。続く07年はついにプロ初の開幕スタメンを経験することになる。
若手時代を振り返るとき坂口はこんな言葉口にしたことがあった。
「『ファーム慣れ』っていう言葉があるんですけどね。つまり、二軍も同じプロ野球であって、何とかプレーに対応できることがわかってくると居心地が良くなってしまう時があるんですよ。一軍に上がっても先輩ばかりで緊張するし、ベンチでも端っこでおとなしくしとかないとみたいなね、居心地が悪い。それならファームの方が気楽やんとなるんですが、それが一番、プロ野球選手がハマってはいけない世界なんですね。みんな分かってはいてもそこから脱却するにはカベがある気がしますね」
07年の坂口は平野恵一の故障離脱という状況もありテリー・コリンズ監督に開幕1番・中堅として抜擢された。5月に打撃不振のため二軍落ちを経験するもファームでは48試合で3割を超える打率を残すなど「ファーム慣れ」の域を完全に脱していた。
シーズン終盤で一軍復帰するレギュラーに定着。08年からは多くの野球ファンが知るグッチ・坂口智隆として本領を発揮していくことになる。
















