【森脇浩司 出逢いに感謝(32)】ポジティブな僕でもケガをして入院していたら「なんでこうなるんだ」とネガティブになることもあるし、気持ちが揺れ動きますよね。試合のラジオ放送を聞いてるとうらやましくなって消したり…。つらい時間ではあっても今できることをいかにやるかを考えていました。入院中はチームメートの金村義明がよく見舞いに来てくれました。僕はその年のオフに広島にトレードされるわけですが、送別会をやってくれたのも金村でした。

 飛躍の年にしたかったのにケガで出場試合数も減り、さらにチームを去ることにもなった。1983年の12月、球団納会のゴルフコンペが奈良であったんです。乗り合いでみんなで向かっている途中、どこかのパーキングエリアで休憩していたら誰かがスポーツ新聞を持ってきて「森脇トレードって出てるぞ」と…。4年目から開幕から使ってもらって僕がショートで大石大二郎さんがセカンド。「近鉄は向こう10年間は内野手はいらない」とまで言われていたんです。なのに5年目終わってトレードになった。

 さすがに言われた時はショックでしたけど、2年も続けて大ケガをして戦列を離れたし、僕がオーナーでもそう考えるのは当然。肩とヒザのこともあるし、もうそれはしょうがないと…。広島から加藤秀司さん、大原徹也さん、近鉄が僕と福井保夫さんの2対2のトレードでした。当時はまだ「トレードに出される」という印象があったので寂しかったですね。親にも心配をかけた。プレーは少なかったけど、振り返ると近鉄時代はいろんなことを学ばせてもらった5年間でしたね。

 移籍先の広島で「さあ、頑張るんだ」というところだけど、肩とヒザがまだ整っていなくて、もどかしい気持ちの中でのスタートでした。当時の球界は「生え抜き」という意識が強かったし、ケガが完治していない中で新天地でハッスルしないといけないという大きな不安があった。気持ちは前向きでも体の部分で「よし、やってやろう」とは、まだできない部分がありました。

 キャンプは沖縄から始まって後半が宮崎・日南。広島といえば僕がプロ1年目の79年と80年に近鉄と日本シリーズを戦って連続日本一を果たしたチーム。非常に練習に緊張感があって、近鉄で西本幸雄監督がいい意味でニラミを利かせていたように古葉竹識監督の目が光っている。山本浩二さん、衣笠祥雄さんという球界を代表する野手でも古葉さんが見ていると緊張感を持って取り組んでいました。シートノックもゲーム想定、試合そのものの雰囲気で行われる。両方の環境を経験し、強いチームの共通点を肌で感じました。

 古葉監督は見た目はおとなしく、紳士でさわやかに見えますが、手が出る足が出る。瞬間湯沸かし器でガーッと怒ったかと思えば、瞬く間に冷静に戻る。試合中もすごくて…。