【森脇浩司 出逢いに感謝(26)】近鉄の二軍時代は毎日、練習後に安井智規守備コーチから500本から600本のノックを受けました。自分が逆の立場ならここまでできるか、と思ったら感謝しかない。休日でも藤井寺球場に出てきてくれる。人と向き合うというのはこういうこと、というのを教えられました。
でもしんどい時もありました。8月のある朝、起きたら熱が39度2分。風邪なんか病気じゃないと言われた時代だし、試合を休むわけにはいかない。フラフラで寮と隣接する球場に行ったんです。試合には出してもらっていたので「今日はスタメンじゃなければいいな」なんて思いながら…。
でも当然スタメンなわけですよ。自軍の練習が終わり、当時は相手チームの練習中も一塁側のファウルグラウンドでノックをやるのが日課でした。僕は体調が悪いことを言わず、ノックを受け、何事もないように必死にごまかしました。
試合が開始され、守備が終わると安井コーチに呼ばれて「お前、もっと声を出せ」「すいません」。声を出しているつもりでも出ていない。その後も安井さんに呼ばれ「声出せというのが分からんのか」って怒られ、ベンチ裏で「お前なんか試合出んでもええ」ってカポーンですよ。その時、正直「これで休めるわ…」と思った。
安井さんが威圧的というわけではなく、僕の中に体調不良を申し出るという選択肢はなかった。気づいてほしいな、とは思ったですけどね。試合が終わるとまたノック…。ロッカー掃除を終え、トレーナー室に薬をもらいに行って熱を測り、その時に僕の状態が分かったわけです。翌日、安井さんから「お前、昨日熱があったらしいな。そういう時ははよ言え」と言われました。
高校時代からつけていた日記も続けました。コーチや先輩に言われたこと、それをどう感じ、これからどうしていくか、試合で相手にどんな配球でやられた、などを生活のルーティンとして寝る前に書いていました。
続ける、ということは日記を書いていない人からすると面倒くさく思うでしょう。僕的には朝起きて顔を洗って歯を磨くのと同じ。当たり前のことなので全然苦痛ではなかったですよ。時折振り返って読むと、その時のコンディションに好不調の波がある。充実している時は字もしっかり書けていて文章もそれなりだけど、うまくいってない時は字や文章が雑だったりするんです。逆に言うと…いつも書く日記をいつも好調時のように整えておけば、現実の方の波も小さくなるんじゃないか、と考えました。
3年目の1981年は一軍の高知・宿毛キャンプに参加させてもらったんです。最初は先輩たちとの体力差、実力差を感じましたが、守備においてはボールを人並みにさばけるようになってきている実感が湧いてきていました。












