【森脇浩司 出逢いに感謝(24)】2022年10月2日、ロッテは千葉でソフトバンクとの最終戦に勝利し、目の前での胴上げを阻止することができた。

 しかし、その後に行われたセレモニーで井口資仁監督がマイクを握り、退任することを口にして多くのファンや関係者を驚かせることになりました。ほとんどの人が知らなかった。ただ…僕は練習終わりのミーティングの前に監督に呼ばれて聞いていたんです。

 その日はコーチとして秋季練習のこと、フェニックス・リーグの人選、日程のことなどを練習中に監督と立ち話していたんです。それが午後4時半くらいに監督がフロントに呼ばれた。戻ってきて「ちょっと森脇さん、監督室来てくれますか」ということで行ったら「辞めることになりました」と…。

 僕はこう言いました。「監督が来年も指揮を執る必要があると思ってる。私が辞めることでそれが実現できるなら私が今からフロントに話に行ってくる」。監督は「それは無理です」と…。無理です、という言葉に何が含まれているのか、要はそれはできないということ。客観的に見て監督が田を耕して種をまいて水をやり、今年は5位だったけど、この2年の成績こそが来年につながると思っていた。そこに僕がいるいないは重要ではなく、井口監督がいないといけない。そのためにも僕がロッテに来たと思っていた。僕だけ残ることはありえない。

 ヘッドコーチというのは監督に火の粉が降りかかってきた時に一手に引き受ける役割。ソフトバンクで王貞治監督に教わったことでその覚悟はいつも持っていた。かっこよく一蓮托生なんて思ってるわけじゃない。

 井口監督から「それは無理です」という言葉を聞き、僕は「分かりました。それなら今日が監督とやるロッテでの最後の野球ですね。精一杯頑張りましょう」と…。セレモニーでみなさんに伝えるのも分かっていた。かといって僕は明日すぐに監督と同じように球団に行って辞任を伝える動きは取らず、少し時間を取って、その後に当然、退団しますと…。そう伝え、2人で試合の現場に臨んだんです。

 井口監督の退任発表後、7人のコーチが退団することとなりました。フロント主導で組閣が進むということが報じられていたけど、そうなると監督がもうコントロールできないこと。結果が出てうまくいけば“お互い何でも言い合える関係が良かったんだ”となるし、結果が出ないと“仲良し軍団だからダメだ”ってなる。僕らはそう言われるような仕事をしているわけで、アンチもファンもいて盛り上がるような世界でもありますから、言われるのはしょうがないと思ってますよ。

 次回からはプロ野球の世界に入ったころのことをお話ししましょう。僕は1978年のドラフト2位で兵庫の社高から近鉄に入団しました。個性的な人がたくさんいて…。