【森脇浩司 出逢いに感謝(25)】僕は兵庫の社高校から1978年のドラフト2位で近鉄に入団しました。79、80年と西本幸雄監督率いる近鉄は連覇し、2年連続でセ・リーグ覇者の広島と日本シリーズでぶつかり、いずれも3勝4敗で敗れました。
西本監督が僕にとって憧れの人でしたね。忘れもしないのが春季キャンプに先駆けて藤井寺で行われた合同自主トレでのこと。ミーティングの時にテレビで見たような選手がいて「あれが太田幸司さんか」「あれがジャンボ仲根さんか」とか。みなさん体がすごく大きかったし、また大きく見えた。トレーニングを見て先輩方の姿に驚きましたね。えらいとこに来たなっていう最初の印象でした。
午前中のハードなランニングが終わって昼飯を食べにロッカーに行くんです。ヘトヘトになって駆け足で球場の中に引き揚げていくんですが、その時に西本監督がハンドマイクで「森脇、ケツが落ちとる!」って。西本さんは歩く姿勢、ランニングの姿勢をうるさく言う人で、僕にはタイムリーなアドバイスだった。姿勢を意識するのはアスリートに一番大事なバランス感覚につながることですから。
でも何より名前を呼ばれたことが感動したんです。僕が長くプロ野球の世界にいて、指導者になっていろんな人と向き合う中で、名前を覚える重要性をプロに入った初日に叩き込まれたような気がしました。西本監督に最初に教わったことでした。
リーグ連覇するすごい先輩たちの試合を寮のテレビで見ていたし、ナイター観戦というのがありました。僕ら二軍は昼間に藤井寺で試合をし、本拠地の日生球場で一軍のナイターを見る。当時はどの球団もやっていたし、義務づけられていました。翌日の二軍の試合もあるので基本は5回まで。試合はもちろん楽しみですが、早く行ってシートノックを見るのが楽しみでしたね。
当時、二軍守備走塁コーチの安井智規さんに毎日、500本から600本のノックをしてもらっていました。僕もプロに入った限りは悔いのないようにしたい。一年一年が勝負だし、何年後があるかどうかなんて分からない。そんな僕にノックをやってもらい、その後に壁当てを200~300回、これは自分のノルマにしていました。
時々、休みがあるんだけど、安井さんが球場に来てくれる。遊ぶなら午前中は練習して午後から遊べと…。練習は厳しいし、時にはコノヤローって思うこともあるけど、安井さんも家庭があるのに入団して何か月かの僕のために来てくれる。逆の立場だったらできない、と考えたら感謝ですよね。
そんなふうに思ったらちょっとできなかったことができるようになったりする。入団後の2年間はハードでしたが、そのおかげで3年目の81年、一軍の高知・宿毛キャンプに呼ばれたんです。












