【森脇浩司 出逢いに感謝(29)】近鉄時代の西本幸雄監督は試合中、ベンチ中央に座って自軍投手、相手投手のボールがベースを通過する瞬間、グッと体に力を入れるんです。130球ずつなら260球、一球一球でグッとする。それくらい気持ちが入っていた。野球を見るというのはこういうことなんだな、すごいなと思っていましたね。

 監督賞をいただいたこともありました。日本ハム戦で江夏豊さんから本塁打したことがあったんですが、その前に代走で行って一塁走者としてゲッツーを潰したんです。そのプレーに対しての監督賞5000円。僕の中ではされど5000円だし、貴重なものでした。

 一軍では内野守備走塁コーチの仰木彬さんとの出会いもありました。3年目で一軍に上がり、4年目、5年目と遊撃手で使ってもらうにあたって共有する時間が多く、話が面白かった。固定観念にとらわれない、柔軟性と独創性を感じました。後年、日替わりオーダーとかパ・リーグの広報部長とか言われたように、向き合うチームの状況に応じたアイデアを出しておられたと思います。

 こう捕ってこう投げる、という細かい指導はなかったですね。右中間にボールが抜けたら本来はセカンドが中継に入ってショートはそのカバーをする。当時は両翼100メートルの広い球場が主流になってきた。そんな中で仰木さんは右中間に抜けたらセカンドの大石大二郎さんではなく、ショートの森脇が行くんだ、と…。適性を考え、右中間でショートが行ってもいいじゃないか、ということです。チーム独自のフォーメーションを理解しておけば動ける。後年、西武では肩の強い松井稼頭央が右中間の中継に入っていたし、仰木さんはやはり先駆けていたと思います。

 よくセオリーって言うけど、僕が後年にオリックスの監督をする際、過去にこだわる、誰が言ったか分からないセオリーにこだわる、というのは覆す必要があると考えました。根底にあるのは仰木さんで、チーム独自でつくるものがセオリーなんだと。弱みもあるが強みもある。どうそれを生かし、どう補うか、ということですね。

 仰木さんは新大阪のマンションに住んでおられ、僕ら若い選手を呼んで焼き肉とかカラオケとか、隣近所に大丈夫かと思うくらいでした。パンチパーマでやさしく、シビアさも持ち合わせておられた。僕の三塁コーチャーのモデルは仰木さん。どんな状況でも冷静で、走者を回す回さないも大事だけど、優先順位で言うと「あの人が立っていることでどれだけ圧力がかかるか」ということ。投手がクセを気にして安易にセットポジションに入れないとかね。

 当時はメディアもそんなことを取り上げないですが、仰木さんはやられていた。洞察力と何とも言えない余裕。キャリアも必要で、目配り気配りが相手に威圧を与えるということだと思いますね。