【森脇浩司 出逢いに感謝(28)】プロ3年目、初めての一軍キャンプでハッスルし、ここがチャンスとばかり守備でダイビングした時に右肩を脱臼したんです。でもこれを言ったら藤井寺に帰されるので隠していた。そのツケが1年後に回ってくることになるわけですけど…。4年目の6月後半に右足の神経が麻痺し、右肩が上がらなくなるんですね。
そのキャンプの終わりで西本幸雄監督がみんなの前で「このキャンプで一番目立ったのは森脇だ」と言ってくれた。その時は脱臼していることを忘れるくらい大きな自信になった。後で思えばもっと治療しながらとか、やりようがあったかもしれない。ちゃんとしとけばよかったし、代償が大きかったかもしれないけど、いろんなことを考えての選択でした。キャンプ、オープン戦に付いていかないといけない、切符を取らなきゃいけないですから。アピールポイントは守備。それだけに痛みをごまかしながら続けるのは苦しかった。シーズンでは開幕一軍に選ばれ、スタメンでも使ってもらったんです。
1981年の近鉄は残念ながら最下位に終わり、西本さんは勇退された。もっと一緒にやりたかったですが、延べ3年間の中で教えてもらったこと、自分の教訓にしていることがたくさんある。最終戦の試合前、みんなの前で「報道されているように今日が最後だ。お前らを本気で叱るだけの体力がない。ここでユニホームを脱がせてもらう」と…。本気でほめる、本気で叱る、本気で向き合うには体力がいる。それこそが西本さんでした。
鈴木啓示さんから僕なんかの下っ端まで分け隔てなく、本気で向き合ってくれた。最後のあいさつで改めて感じ、感謝の思いでいっぱいでした。「選手に差はあっても人間に差はない」「世の中に陰日なたで努力している人はたくさんいる。いつかは努力が報われることを俺は野球を通じて証明したい」「おれは悲運の闘将ではなく、8回も日本シリーズに連れていってもらった幸運の凡将だ」と言われた話も聞きました。大きなお金を使って強い選手をたくさん取れば優勝できるかもしれない。それなら毎日一生懸命努力している人はどうなるんだ、と…。そんな語録もありましたよね。
ある日、大阪市の日生球場のデーゲームが中止になり、僕はすぐに南大阪の藤井寺の寮に戻り、球場の室内練習場でマシンを打っていました。すると兵庫北部の宝塚に住んでいる西本さんがわざわざ見に来られていたんです。僕に声をかけることなく、柱の陰からずっと見守ってくれている。言っていることとやっていることが違わない。陰日なたで努力している人が報われることを証明したい…。すごい人だな、と思いました。僕はまだ子供だったけど、こんなふうにして生きていくんだよ、ということを僕なりに感じさせてもらいました。
近鉄では仰木彬内野守備コーチとの出会いも大きかった。












