【森脇浩司 出逢いに感謝(30)】近鉄時代は先輩にもかわいがられました。鈴木啓示さんと佐々木恭介さんは兵庫で同郷。鈴木さんは実家も近いし、恭介さんは実家が散髪屋さんで、僕の叔父も近くで散髪屋をやっていました。といっても球界の左の大エースだし、恭介さんも3割5分8厘の首位打者(1978年)でとても話はできなかったけど、3年目で一軍に上がった時には同郷のよしみで声をかけてもらいました。鈴木さんには東京遠征で銀座のステーキ店に誘ってもらい、落語家の桂小金治さんもご一緒させていただきました。
恭介さんも家に呼んでもらったり、かわいがってもらった。一声かけてくれることが我々にどれだけのパワーになるかと思いますね。二軍だと同じユニホームを着ていても遠い存在だけど、一軍は毎日グラウンドで顔を合わせるし、時には鈴木さんの後ろで守ることもある。一定の距離はあっても他の選手よりもよく声をかけてもらった方だと思います。平野光泰さん、小川亨さん、永尾泰憲さん、有田修三さん、梨田昌孝さん、井本隆さん…人に恵まれていましたね。
後輩でも自分のライバルだし、アドバイスすることで後輩がうまくなれば自分の立場が不利になる。当時はそんな考え方があったと思いますが、飲みの席であまり野球の話はしないし、何か聞きたいことがあった時に行きやすくなりますよ。
すごいな、と思っていたのは同じ内野手の吹石徳一さん。世間的にすごいイメージは持たれていなかったかもしれないけど、僕の中では目指す選手の一人でした。派手さはなく、見た目もスリム。プレーが堅実で、日々の努力を見せないんですが、同じ寮にいたのでその姿を目の当たりに見ていました。一軍の日生球場のナイターが終わると吹石さんが寮に帰ってくる。二軍の僕がスイングルームで夜にバットを振っていたら、吹石さんが来られて入れ替わるんです。
寮の横にトレーニング室ができてからも同じように入れ替わりのタイミングで吹石さんが来る。ある日、僕の部屋に革の新しい手袋が2セット置いてあったんです。「これ使えよ」とか何の前振りもなく、吹石さんが入れてくれていた。二軍の僕にメーカーの用具提供なんてないので、1つの手袋、1本のバットがありがたかった。コツコツやっているのを見てくれていたのか分からないですけど、何げない行動にすごく感動し、エネルギーになりました。普通の行動にすごみがあった。
若い時に厳しいことをやられたから、上級生になって若いやつに厳しくする人もいるでしょう。それと同じ法則かもしれないけど、僕は若い時にやさしくされた。先輩というのはこういうものなんだ、先を生きるということはこういうことなんだな、と学びましたね。
プロ5年目の83年、僕は再び大きなケガに直面することになりました。











