【長嶋清幸 ゼロの勝負師(31)】阪神が18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた2003年、星野仙一監督をブチギレさせたことがあった。外野手で4番を張っていた打撃好調の浜中おさむが5月にけん制で帰塁した際に右肩を負傷。守備走塁コーチの俺は浜中の「試合に出続けたい」という気持ちを受け止め、投げ方の練習を懸命にやらせ、6月に復帰させた。ところが、その試合でまたアクシデントが起きた。右翼守備で慌てて送球し、右肩脱臼。自分の形で投げろと、あれほど言ったのに…。

 島野ヘッドコーチが俺のところに来た。「マメ、監督が呼んどるけどな…。絶対、口答えするなよ。分かったか。絶対やぞ」。これは怒られるパターン。中日時代に何度も見ている。とにかく「すいません」と言うしかない。監督室に入ったら、星野さん、いきなりソファをひっくり返して「てめー、どうなっとんじゃー! ちゃんと言ったんかー」。ここで「言いました」と言ったらダメで「すいません」しかない。島野さんも横で見ているだけ。まあブチギレでした。あれほど言ったのになあ。浜中は「すいません、慌てちゃって…。もう悔いないです」と言っていたね。

 練習ではカットの内野手まで普通に投げられていた。慌てず形通りに投げてのことならまだしも、形にはまらないうちに投げちゃったらダメだわ。彼はその後に手術し、ファン投票で選出されていた球宴も辞退。後半戦を棒に振ることになった。

 打線ではFA加入した金本知憲の存在が大きかった。広島で特訓されたというのもあるけど、彼の判断力の中の思いきりの良さ。コーチとしても「ここはどうしたらいいか」と判断に迷う時ってあるんだけど、いつもその答えをあいつが出してくれ、背中を押してくれた。守備でも走塁でも。例えば試合前に「今日はこの投手の時に二塁にいたら走りますから。一発で決めますから」って。

 1点リードの場面で警戒する打者を迎えて「守備位置をどうするか」なんて思っていると、左翼のあいつはすぐ前に出てくる。「おっ、やる気だな」と思って外野手を前にしたら単打で二走の生還を止めたとかね。野球を知っているし、勝負勘がいい。伊良部秀輝、下柳剛、ジェフ・ウィリアムスにしてもそうだけど、星野さんの金本への信頼は絶大だった。

 阪神は首位を独走し、9月15日に星野さんを胴上げできた。コーチになって初めての優勝は格別なものがあった。星野さんが来年もやってくれたら盛り上がりもすごかったんだけど…。

 ダイエーとの日本シリーズ開幕前日に「俺は辞める」って言うから、みんなあぜんとした。何も聞かされていなかったし、決戦前になんで? 優勝して辞めるなんておかしいよ。何のために優勝したん?みたいな。選手も俺らも「?」だった。オフに岡田彰布さんが監督に就任し、俺には中日の落合博満新監督から連絡がきて…。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。