【2021プロ野球残念案件】メモリアルイヤーを飾れなかった。DeNAの2021年は屈辱にまみれる結果に終わった。11年12月の親会社変更に伴って「横浜DeNAベイスターズ」が誕生して以来、ちょうど区切りとなる10年目のシーズン。満を持して二軍監督から昇格したレジェンドOB・三浦大輔監督が球団内、ファンからの期待を一身に背負い〝初登板〟を果たしたものの終わってみれば、就任1年目のチームは6年ぶりの最下位に沈んだ。

 開幕から2つの引き分けを挟んで6連敗を喫するなど出だしで大きくつまずいた。所属する育成含む外国人全10選手が新型コロナウイルス感染拡大の影響で来日できず開幕に間に合わなかったことが大きく響いた。

 入国後にビザを申請する「再入国」の方法を選択した場合、入国期限が設けられる。そのため球団側は所属の外国人選手たちへの〝配慮〟から一昨年11月の段階でビザを取得後に入国する形を選択していた。ところが新型コロナウイルスの感染が再拡大し、20年12月の時点でビザの波及が凍結してしまったことで結果論とはいえ、これが裏目に出る格好となってしまった。他の11球団は別の方法を選択していたため、DeNAはNPBで唯一、外国人不在で開幕を迎えることになった。

 青息吐息ながらも4月4日の広島戦(横浜)で開幕9試合目にして初白星となり、球団ワーストタイとなっていた開幕連敗記録を6でストップ。それでも三浦監督が枕を高くして眠れる日は簡単に訪れなかった。2リーグ制となった1950年以降、新人監督ではワーストとなる開幕8試合未勝利の不名誉記録こそ何とか止めたものの、同9日から再び泥沼にハマって悪夢の10連敗。「100敗ペース」ともささやかれた同22日・中日戦(横浜)の敗戦後、指揮官はテレビインタビューに「なかなか得点に至らず、こういう展開が続いていますけれども、ええ、まあ…そうですね…。やるしかないんで、はい」とうつろな目で応え、周囲を大きく心配させた。

「あの頃の三浦監督はネット上でも采配に関する批判など辛らつなコメントが次々と書き込まれ始め、炎上状態になっていた。風当たりも強くなって日々段々と憔悴していく様子だったので『まさか責任を取って自ら辞めてしまうのではないか』と危惧する声まで飛んでいたほど。とにかく『絶対に三浦監督を守らなければダメだ』と球団内の誰もがそういうムードになっていた」と球団関係者は当時の〝危機的状況〟について述懐する。

 4月中旬からオースティン、ソト、エスコバー、新外国人のロメロら助っ人勢が合流。その後、徐々に歯車がかみ合い始めたチームは6月末に一時最下位脱出を果たしたもののAクラスには到達できず、後半戦の9月末には再びどん尻へ沈んだ。それでもルーキー・牧の大ブレークや2年目の19歳・森が輝きを放つなど、三浦監督の〝我慢の1年目〟は未来のベイ戦士を育成する上で間違いなく収穫もあった。

 昨季を終え、三原球団代表は「事実として最下位という順位だったということには責任も感じている。このことをしっかり受け止め、今季につなげていかなければいけない」と語っている。

 その一方、昨オフのフロントは外国人の来日遅れなど就任1年目となった三浦監督へのサポート体制が万全でなかった反省を踏まえ、斎藤隆チーフ投手コーチ、石井琢朗野手総合コーチ、鈴木尚典打撃コーチ、相川亮二バッテリーコーチら大物OBを新首脳陣として続々と招へい。同代表は「成績が振るわなかったということが、やっぱり(新コーチ陣の組閣を)しなければいけないと考えさせられたポイントになった」とも述べ、2年目でV字回復を図る三浦監督へのバックアップを大田泰示、藤田一也、新外国人クリスキーらの選手補強、さらにはFA取得間際となっている主力の流出を阻止するための〝複数年契約ラッシュ〟も含め着々と進めている。

 1年目に人知れず不安視されていた〝辞任危機〟を乗り越え、今季の三浦ベイスターズは最下位から13年ぶりのリーグV、日本一を本気で狙っている。