【久保康生 魔改造の手腕(21)】2005年に阪神の投手コーチとして岡田監督から要望されたミッションは、前年セットアッパーだった安藤優也の先発再転向でした。

 プロ入り1年目の02年は、そのシーズンから就任した星野仙一監督に先発として起用されるも3勝。2年目の翌03年はリリーフに転向し開花しました。

 51試合に登板し5勝5セーブ、防御率1・62と大活躍。守護神・ウィリアムスと「勝利の方程式」を確立し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。

 そして岡田監督就任1年目の04年はリリーフを務めますが、成績を落としていました。

 岡田監督はその安藤をまた、中継ぎから先発に変えてくれと要望していました。

 投手は役割によって、投球の間やテンポが大きく違います。

 終盤に勝ちパターンで投げる投手は1球の重みが違います。じっくり時間をかけ、間を取って丁寧に投げる印象があると思います。息をのんで見守る場面で、藤川球児が投げるところを想像すれば分かってもらえると思います。

 あの当時、安藤に指摘したのは「投球が間延びし過ぎている」ということでした。

 数字のリズムとして「1・2・3」で投げるのと「1・2の3」で投げる違いといえば分かりやすいでしょうか。安藤の場合は「の」が長過ぎたんです。

「1・2ぃの~3」のリズムで先発投手に投げられると、野手はたまりません。そのリズムで際どいコースをボールと判定されフルカウントなんて、非常に守りにくい。

 安藤は制球力のある投手でした。決め球をアウトコース低めに投げ込む技術を持っているんですが、長いイニングを投げる先発だとテンポも大切になってきます。ずっと間延びしたフォームでは攻撃へのリズムもつくれません。

 だから「の」をなくせと言いました。とにかく短縮バージョンのフォームで投げる。自分の中では打者がタイミングを取りやすくなるんではないかなど、思ったでしょうけどね。

 当時、巨人で活躍していた上原浩治はテンポのいい投球の手本のような投手です。あのスタイルで17も20も勝つんですからね。守りやすい時間をつくってあげて、攻撃の時間が長いという流れをつくっていくこともピッチャーの役割と説得しました。

 でも、当時の安藤が最終的に言ったのは「そしたら上原さんみたいにして投げたらいいんですか」ってね、少しムッとしてはいました。でもここは、極端に言えば上原ぐらいにフォームを短縮してくれと伝えました。

 相手にタイミングを取られやすいんじゃないか。そういうネガティブな感覚がやっぱり浮かんできたと思うんですよ。でも、いいからとにかく練習を継続してもらいました。

 3月に二軍戦で登板して成果を試してもらいました。帰ってきてどうやった?と感想を聞くと「バッチリです」と手応えをつかんだようでした。

 短縮したフォームの中で「の」が完全になくなったのかというと、実はそうではないんです。時間が短いだけで、左足を上げてからホーム側へ体が並進していく時間は確かに残っています。

 ただ、それが間延びしているとリリースポイントがぼけてしまうという弊害が出ていました。もともと、腕も長くて、長いものを振ってるように見えるフォーム。すごくきれいな2段モーションでしたが、この極端なフォーム改造は安藤にとってプラスになったはずです。

 その05年は先発ローテで規定投球回もクリアし11勝5敗。リーグ優勝に貢献してくれました。その後は右肩のけがなどもありましたが、晩年にもリリーフに再々転向し息の長い活躍をしてくれました。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。