【赤坂英一 赤ペン!!】DeNAが16日の巨人戦にも敗れ、2年ぶりの7連敗で借金は早くも「11」となった。三浦監督は「現状をしっかりと受け止めて、明日からまた勝てるようにみんなでやっていくしかない」「何とかしないといけない」と、連日懸命に前向きな発言を繰り返している。

 こんなときこそ、ベイスターズが必死になって白星をつかみにいく姿勢を見たい。思い出されるのは12年前の2009年、大矢監督が突然更迭されたときのことだ。

 今年と同じように開幕6連敗すると、球団幹部は大矢監督に対し、5月の交流戦までに借金10に達したら、身を引いてもらうと通告。借金8で臨んだ中日3連戦に3連敗して、事実上の解任が決まった。このカードの初戦、惜しくも0―1で敗れた敗戦投手がエースだった三浦大輔である。

 大矢監督に代わって監督代行に据えられたのは、二軍監督の田代富雄(現巡回打撃コーチ)。就任会見で、いきなりこんな方針を披露している。

「とにかく打線に勢いをつけたいですね。初球からでもどんどん振らせる。僕のことだから、見てる人が、あれ?と思うような采配もするかもしれませんけど」

 手塩にかけて育てた長距離打者・吉村裕基の打順を4番から1番に変更。初球攻撃の方針を徹底させ過ぎたためか、クリーンアップの攻撃が3球で終わったこともある。監督代行就任1か月後、21試合で5勝16敗と、借金は20以上に膨らんでしまった。

 しかし、当時の雰囲気は決して悪くなかった。神宮の台覧試合では田代自ら選手に作戦を授け、ヤクルトの守護神・林昌勇から犠打と犠飛で1点もぎ取って競り勝ち。犠打を成功させた細山田は、田代の迫力に「失敗したら死ぬと思いました」ともらした。

 広島戦では、最終回にピンチをつくった山口(現SFジャイアンツ傘下)を、自らマウンドに足を運んで怒鳴りつけた。

「この世界で飯食っていく気があるのか! 真っすぐで勝負しろ! ガンガン攻めろ!」

 広島ベンチまで聞こえた猛ゲキが効き、山口は後続を抑えて勝った。

 当時の選手会長・村田修一(現巨人コーチ)は首脳陣、選手、スタッフ合同の決起集会を開催。「みんな、オバQ(田代の現役時代からの愛称)を男にしよう!」と呼びかけた。今は会食NGの世の中だから、同じことができないのは残念だ。

 当時の経緯は、8年前の拙著『最後のクジラ 田代富雄の野球人生』に書いた。大洋時代に入団した三浦監督は、かつての悪戦苦闘を経験した世代である。打てる手はすべて打ち、なりふり構わず勝ちにいくベイスターズの野球を、いまこそ見たい。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。