【新春対談 DeNA・三浦大輔監督×蝶野正洋=前編】衝撃の〝nWo入り〟から22年…黒のカリスマが番長に極悪命令!

2021年01月05日 05時15分

22年ぶりに〝黒いタッグ〟を結成したDeNA・三浦新監督と蝶野。ポーズもバッチリだ

 ついに監督に就任した「ハマの番長」があの〝黒のカリスマ〟と22年ぶりの電撃合体を果たした。2021年からDeNAを率いる三浦大輔新監督(47)と、プロレスラー・蝶野正洋(57)の新春ビッグ対談だ。実はこのプラン、三浦監督自らの〝緊急提案〟で実現したのだが、主導権を徐々に蝶野に握られ…。大いに盛り上がった豪華対談を前後編でお届けする――。

――今回は三浦監督、直々の提案だったが

 三浦監督(以下三浦)やっぱり1998年(新日本プロレスの)東京ドーム大会で(蝶野らの)セコンドについたときにチームが優勝しましたからね。しかも、あの時ちょうど背番号「18」に変えた時期で…。で、今年監督になって背番号も「81」になるんですよ。23年前の話ですけど、ゲンを担がせていただきました。

 蝶野 ほう、なるほど…。三浦君はベビーフェースだから、多分2021年はヒールの監督になると思うけど(ニヤリ)。あの時はすごかったもんね、横浜じゅうがね。

 三浦 そうですね。野球だけじゃなく、サッカーも陸上も…全部そうですよ。

 蝶野 だって(日本一になった翌年)99年にはもう電話出てくれなかったもん(笑い)。

 三浦 いやいや、そんなことは…。97年に横浜スタジアムに来ていただいて「セコンドついてよ」って言われて。最初冗談かなと思っていたのが、本当に東京ドームのリングに上がらせていただいたんです。

――当時はプロレスファンの鈴木尚典外野手と「nWoジャパン」の新メンバーとしてリングに上がった

 三浦 97年の(川崎市)とどろきアリーナに試合を見に行って、控室呼ばれて行ったらもう「新しいnWoメンバーだ!」って紹介されて。「あ、俺、nWoメンバー入ったわ」って(笑い)。その後、サッカー選手とかどんどん(nWoに)入ってきて…。

 蝶野 その時は知り合ってから間もない時で。俺らが(三浦投手の投げる試合に)行かない時はいいんだけども、行くと負けちゃうの。で「俺らが行くと気になる?」って聞いたら「気になります」って言われて(笑い)。スゲェ迷惑かけてるなと思って自粛して、行かないようにしていた。

 ――監督は筋金入りのプロレスファン

 三浦 もともと橋本(真也)さんから(方々に)伝わって。新日本の道場とかに行かせていただいて。で、プロレス好きだったらって蝶野さん、武藤(敬司)さんも声をかけてくださって。毎年、1月4日は東京ドームに行ってたんですよ。シーズンオフ、田舎に帰っても4日だけは新幹線で東京ドームに行って。

 ――ちなみに蝶野さんは新日本の「現場監督」をやっていたが

 蝶野 俺はプレーヤー兼監督業みたいな感じだったから、あの時はきつかった。監督って本当は自分が体で示すポジションじゃないと思うんだよね。選手たちもプロだから、そんな細かく言う必要もない。ただ自分の場合は兼任だったから、自分がメインイベントとか張らなきゃいけない。そこで、どうしても下から「なんでそんな試合を組んでいるんだ」「なんでそんなに前に出たいんだ」とか言われたりね。

 三浦 なるほど…。

 蝶野 でも、三浦君は完全な監督業。そういうところは気にしなくていい。だから俺がアドバイスするなら、最近は怖い監督、悪い監督がいないから、やっぱり「悪い監督」になってもらいたいよね(ニヤリ)。

 三浦 いやぁ…。

 ――ちなみに「悪い監督」とは? 実は三浦監督、球界屈指の「いい人」と評判でして

 蝶野 そりゃあ、トランプみたいにさ、やりたい放題、私利私欲で(笑い)。東スポ発でそれを出したら話題になるじゃない。「三浦さん、監督になって人が変わっちゃったの?」って。んで、球場行ってみたら全然(いい人ぶりは)変わっていないという(笑い)。

 三浦 でも、厳しくやらないといけないとは思ってますよ。勝負の世界ですから。結果が出せなかったら、やっぱりファーム行くことになるし。そこは冷静に判断して、入れ替えはしていかないと、と思います。

 蝶野 今までで一番怖い監督は誰だったの?

 三浦 怖かった監督ですか…

=後編へつづく=

☆みうら・だいすけ 1973年12月25日、奈良県生まれ。右投げ右打ち。91年、高田商からドラフト6位で当時の横浜大洋ホエールズに入団。97年、自身初の2桁勝利(10勝3敗)を機に背番号「46」から「18」に変更。翌年に鈴木尚典外野手とともに蝶野正洋率いる「nWoジャパン」入り。自己最多タイの12勝(7敗)を挙げ、リーグ優勝、日本一に貢献。以降「ハマのエース」として長きにわたりチームをけん引する。2016年には投手コーチ兼任となり、同年に現役引退。通算成績172勝184敗、防御率3.60。19年から一軍投手コーチに復帰し二軍監督を経て、21年から背番号「81」を背負い、横浜DeNAベイスターズ監督に就任した。

☆ちょうの・まさひろ
1963年9月17日、米国・ワシントン州シアトル生まれ。186センチ、108キロ。東京で育ち、84年4月に新日本プロレス入門。同年10月5日の越谷大会での武藤敬司戦でデビュー。欧州武者修行から帰国した87年に武藤、橋本真也と「闘魂三銃士」を結成して注目を集める。鉄人ルー・テーズ直伝のSTFを極め、91年の第1回G1クライマックスを制覇。翌年も連覇し、一気に新日マットの頂点に立つ。96年にはハルク・ホーガン率いるnWoに加入。「nWoジャパン」を結成し、マット界の枠を超えた一大ムーブメントを起こし翌97年に本紙制定プロレス大賞MVPを受賞する。2010年に新日プロを退社してフリーに。主なタイトル歴はNWAヘビー級王座、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座など。