ECWとは対照的に、WWE(旧WWF)は完全な大企業だった。入団した瞬間、規模の違いを痛感する。「スケールが全然違っていた」。照明、カメラ、スタッフ、脚本。すべてが分業で動く。数万人規模のアリーナを前提に組まれる演出。そこでは、個の主張よりも組織の論理が優先された。
「ECWでは確立された存在だったけど、WWEでは一瞬で無になった」。歯車の一つになる感覚。昨日まで主役級だった立場が、巨大な装置の中では簡単に埋もれる。大組織の中で、まず求められるのは役割を正確に果たすことだった。最初に与えられたのはウィリアム・リーガルの付き人役。「これはうまくこなせるぞっていう感覚はあった」。主役ではない。しかし、脇役にも仕事の質があると分かっていた。
衣装も自ら提案した。「緑のポロシャツの方がバカっぽく見えるなと思って」。本来はスーツの予定だったという。だが、あえて少し滑稽に見える装いを選んだ。「あれは僕が選んだもの」。巨大企業の中でも、細部の判断は任される。その小さな選択がキャラクターの輪郭を作る。与えられた枠の中でどう光るか。それが試されていた。
リング外では、徹底して目立たなかった。「外国人は目立たない方がいい」。分かっていても分からないふりをする。余計な発言はしない。「後から、あいつは分かってるくせに分かんないふりするのがうまかったって言われた(笑い)」。生き残るための処世術だった。自己主張はリング上でやる。普段は空気のように振る舞う。その切り替えが必要だった。
トップスターの存在感は圧倒的だった。ザ・ロック、ストーンコールド、ジ・アンダーテイカー。「ああいう人たちは別格だ」。同じリングに立っても、放つ光量が違う。「めったに生まれないスターってこういう人なんだなって思った」。巨大企業の中でなお突き抜ける存在。その現実を目の当たりにした。スターは偶然ではなく、構造の中で最大化される存在だった。
そして常にあったのは緊張感だ。「会社から電話があると心臓が止まりそうになった」。人気が落ちれば契約は終わる。昨日まで隣にいた選手が突然いなくなることもある。「みんな恐怖と戦っていた」。巨大組織は安定の象徴ではない。競争が最も厳しい場所でもあった。
ECWで身につけた“自分でつくる”姿勢と、WWEで学んだ“組織の中で機能する”意識。その両方を体に入れた時期だった。自由と構造。対極に見える二つを経験したことで、プロレスという仕事の見え方が大きく変わった。












