海外で戦うという選択もまた、TAJIRIにとっては「必然」だった。メキシコで活動していた当時、資金は底をつきかけていた。「アメリカで稼がざるを得なくなっちゃって」。夢や理想を語る余裕はなかった。次の一手を打たなければ、レスラーとしてのキャリアそのものが止まる。だから渡米は挑戦というより、延命のための決断に近かった。
ECWとの契約は週750ドルから始まった。半年ごとに250ドルずつ昇給する条件。「当時の物価を考えれば悪くなかったですね」。まず掲げた目標は1万ドル。100万円をためることだった。小切手を現金化し、銀行口座の残高を確認する。その数字が少しずつ増えていく。「割と稼いでるな俺は、という実感があった」。海外で通用しているという手応えは、歓声よりも数字の方が説得力を持っていた。
生活は決して派手ではない。移動費、宿泊費、食費。出ていく金も多い。「残すことを考えていた」。同居していたスペル・クレイジーは対照的だった。稼いだ金をすぐ使い、部屋は買い物であふれていく。「反面教師みたいな感じにしていた」。同じ団体にいても、生き方はまったく違った。海外では誰も守ってくれない。だからこそ金銭感覚がそのまま生存能力になる。
「とにかくここで稼ぐっていう覚悟が一番だった」。理想の試合を追い求める前に、まず生活を安定させる。その順番を間違えなかったことが大きかった。稼ぐという目的は卑しいものではない。むしろプロとして当たり前の姿勢だった。自分の価値が数字で示される環境に身を置くことで、レスラーとしての意識も研ぎ澄まされていった。
やがて団体の経営は揺らぎ始める。4か月間ギャラが止まった時期もあった。それでも去らなかった理由を、TAJIRIは淡々と語る。「こんな有名団体の最期を見届けられるのは、なかなかない」。損得だけで動くなら離れていたかもしれない。しかし崩壊の過程さえ、自分の糧になると考えた。経験は後で回収できる。その感覚があった。
海外挑戦はロマンではない。収入、支出、契約、判断。すべてが現実の延長線上にある。感情よりも状況を読む。理想よりもまず生き残る。TAJIRIにとってアメリカ行きは、華やかなステップアップではなく、生存戦略だった。その現実感覚が、後の選択すべての基準になっていく。












