私が早大監督時代に出会った最高の素材、岡田彰布には本当にほれ込みました。入学前の練習会に参加した岡田は、持ち前のリストの強さを発揮して柵越えを連発。しかし、当時はスポーツ推薦枠が存在せず、岡田の入学試験での合格を祈る思いでした。

 そして岡田は見事に合格。最初に手首の柔軟性を見た時、内野手での起用ということを考えました。高校3年時は4番・投手を務めていましたが、私は4年生で三塁のレギュラーだった松本匡史(報徳学園~早大~巨人)の後釜にしようと考えたわけです。

 そして1976年春です。まだリーグ戦開幕前の段階で私は1年生の岡田を呼び出してこう話しました。「東京六大学の通算本塁打記録(当時)は法政・田淵幸一(阪神~西武)の22本。通算最高打率は先輩の谷沢健一(中日)の3割6分。ベストナイン記録は明治・高田繁(巨人)の7季連続。君はこの3つの記録を破ることができる。努力をすれば六大学の看板選手になれるぞ」。岡田はこの言葉に相当なプレッシャーを感じていたようですが、私はハッパをかける意味だけではなく、本当にそれほどの未来を想像していました。

 岡田は夏の軽井沢合宿で私からこの3つの記録の突破を突き付けられ「気が遠くなった」とインタビューで答えていますが、正しくは私は入学直後にこの話をしています。そして岡田は田淵の記録には2本及ばずも20本塁打。通算打率の3割7分9厘、81打点は今でも破られていない記録です。78年秋には3冠王にも輝いており、私の予想はほぼ的中したと言ってもいいと思っています。

 ある専門誌では岡田のことを100年の歴史を誇る東京六大学野球連盟の歴史において、神宮を沸かせた「史上最強スラッガー」と表現しています。他にもいい打者はたくさんいましたよ。時代が違うとはいえ、長嶋茂雄さんが57年に打った8本塁打が当時は六大学新記録でした。2度の首位打者、5度のベストナインで在学中は「記録男」と呼ばれたミスターに比べても、六大学の100年の歴史で岡田が史上最強という表現が間違いではないと思っています。

早稲田大学時代の岡田彰布は「史上最強スラッガー」と呼ばれた
早稲田大学時代の岡田彰布は「史上最強スラッガー」と呼ばれた

 私は1年春から岡田を使うことを決めていました。開幕前に風疹を患ってしまいチームを離脱した時期がありましたが、1年春の第3週、明大戦からベンチ入りさせています。第6週の法大2回戦では8番・三塁でスタメン起用して3打数1安打1打点。神宮デビューを果たしました。その後は法大4回戦で代打出場。慶大1回戦で代打、2回戦で三塁守備として途中出場させ4試合に起用しました。

 1年春の体調不良がなければ、もっと試合に出て数字を伸ばしていたかもしれません。が、それは言わないでおきましょう。私は自分自身で思っていた通りに将来性の高い岡田を1年春から起用するという目的を果たし、史上最強スラッガーへの道筋をつくることができました。

 そして、思い出深い夏の軽井沢合宿です。下級生からすれば自身の練習だけではなく雑用などにも追われる地獄の1か月です。逃げ出す部員もいたほどです。岡田自身も最初の1週間で体重が10キロ以上落ちたといいます。それでも、岡田が弱音を吐いたことは、ただの一度も見たことはなかったですね。