静岡高では夏の甲子園で主将として準優勝、早大時代は選手、監督としてリーグ優勝と日本一、社会人の日本石油では都市対抗Vも経験。さらには社会人野球・プリンスホテルの草創期のチーム立ち上げに尽力し、監督としても都市対抗優勝に導いた。加えてアマ球界を飛び出し、長嶋茂雄氏の要請でNPB・巨人のフロントまでを経験した野球一筋の「球道者」。野球に携わり70年を誇る“仙人”石山建一氏が球界の裏表、勝ちの作法を忖度なしで語り尽くすリアルな証言録がスタートする。
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読者の皆さま、よろしくお願いいたします。新連載を担当させていただきます石山建一と申します。若い世代の野球ファンの皆さんの記憶にとどめていただいているかは分かりませんが、私は静岡県出身の野球人です。静岡市立高松中に柔道部がなく、野球部に入ったことがオフィシャルな野球人生の始まりといえます。中1で13歳ですから野球に携わって70年の年月が過ぎ去ったことになります。
その中で本当にいろいろな野球人、学校関係者、企業人との出会いがありました。教え子たちの多くは今でもプロアマ問わず野球界に生きており、密に連絡を取らせてもらっております。
この連載が始まるのが2025年の12月8日だと伺っております。その前日の12月7日には都内で東京六大学野球の100周年祝賀パーティーが開催されました。現在、早稲田大学の野球部OB会、OG会の会長は今年で68歳になる世代の関口一行が担ってくれています。その学年で皆さんが知る人間はなんと言っても岡田彰布でしょう。私が早大監督を務めていた時代のキャプテンであり、のちに阪神で1985年のセ・リーグ優勝、日本一に貢献し監督としても05年のリーグ優勝、23年のリーグ優勝、日本一に輝いたあの岡田です。
岡田は小学5年当時、大阪の自宅で神宮球場にて行われていた早大の試合をテレビ観戦し「WASEDA」のユニホームに憧れたと聞きます。明星中から北陽高に進学し、甲子園出場も経験しながら勉学にも励み、早大入りを目指す日々を送っておりました。
そして私が早大監督を務めていた75年の夏、安部球場で行った高校球児の練習会に岡田が参加してきました。当時の岡田は投手もしていましたが、その日は外野手での登録だったと記憶しています。当時の早大は人間科学部スポーツ学科がなく、スポーツ推薦枠はなし。参加した各選手は本人が翌年2月に行われる入学試験に合格しなければならなかったので「セレクション」とは表現せず、練習会と呼んでいました。
その練習会で私は岡田の打撃にひと目ぼれしてしまいました。NPBでの現役時代のフォームを見てもらえれば分かるように、大学入学前の当時からリストがめっぽう強かった。打球はライナーで左翼フェンスを越えていき15打数14安打、14柵越えというのは語り草です。
私は岡田の学業成績についてマネジャーに矢継ぎ早に質問しました。「入学試験には受かりそうなのか」。私は岡田になんとしても入学してほしかったんです。猛勉強のかいもあり、岡田は翌年の入学試験で見事に合格を勝ち取りました。













