2006年7月17日の北海道・月寒グリーンドーム大会で悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠したリング上で発した「愛してます」の言葉は、チャラ男のイメージとマッチングしたり、状況、状況によって変化して定着していきました。我ながら秀逸だったなと。新日本プロレスの「1、2、3、ダーッ!」時代を終わらせたというか、歴史の分岐点にいたんだなと思います。

 この大会と前後するんですが、06年5月からは別ブランドの「レッスルランド」がスタートしてエースの役割を果たしていました。07年5月までの1年間、エンターテインメント色の強い9大会が開催されました。賛否両論で、ちょっと時代の先を行ってましたね。

 別ブランドとしては同じ時期に始まった「ロックアップ」の方が新日本プロレスらしさを打ち出していましたし、レッスルランドは動員も厳しかったです。試合前のVTRで女性リポーターから「ガッチリモッコリやっちゃってください」と声をかけられたり、今だったらアウトな時代の流れも感じます(苦笑)。最後は中西(学)さんに乗っ取られて「中西ランド」になった記憶が強烈に残ってます。

ミラノコレクションA.T.(右)と魔界マスク ド・デビロック(左)から恥ずかし固めを受ける棚橋弘至(写真中、06年7月)
ミラノコレクションA.T.(右)と魔界マスク ド・デビロック(左)から恥ずかし固めを受ける棚橋弘至(写真中、06年7月)

 まさに会社にとってのトライでもありエラーでもあったんですけど、今だったらきっと受け入れられていたんだろうなと思います。当時の新日本プロレスが試みを繰り返したことでファンの方も「ここまでは許せる」「ここからは許せない」という許容のラインを決めていた気もします。選手のエントランスVTRや初めて見る方にも分かってもらえるためのあおりVTRだったりが本戦にも取り入れられるようになったのもレッスルランドがあったからこそ…だと思いたいですね。

 現在の必殺技ハイフライフローを使い始めたのも06年の6月から。WWEでエディ・ゲレロが自分よりも大きい相手にフロッグスプラッシュで勝つ姿を見ていたのもあるし、初めて見るファンの方にも分かりやすい技だなと思ったんですよ。昔から見ている人からしたら単なるボディープレスかもしれない。

 けど、これから自分がどんどん開拓していくべきファンの方には、受けた相手のダメージを想像しやすい技じゃないかと。もう一つは、相手の体格を問わず、全員にかけられる技を探していたんです。スープレックスも得意だったんですが、大きい選手が相手だと限界があったので。

 結果的に19年以上、現役を引退するまで必殺技として使い続けることになりました。武藤(敬司)さんのように、その時々のコンディションで必殺技を変えるのも天才だなって思うんですけど、俺は一つの技にこだわり続けられて良かったかなと思います。