2005年4月に初開催された「NEW JAPAN CUP」。俺は1回戦で永田(裕志)さん、2回戦で金本(浩二)さん、準決勝で天山(広吉)さん、決勝で中西(学)さんと「第3世代」に連勝して初優勝を飾りました。

 当時はIWGPヘビー級王座への挑戦権はかかっていなかったんですが、記念すべき第1回の優勝者というのはいい響きですね。蝶野(正洋)さんが優勝したG1クライマックスもそうだったように、第1回大会というのは大事だったんだろうなと。そこまで盛り上げられたかと言われると、自分の中に手応えはなかったんですけど…。トーナメントという新しさはあったし、今も続く名物シリーズになっていることを考えると、よく頑張ったなと思いますね。

 この年の7月18日にはノアの東京ドーム大会で力皇(猛)選手のGHCヘビー級王座に挑戦し、敗戦を喫しました。自分の実力不足でしたね。空気を読む力がなかったというか…この当時の俺はコンディションも良くて「どこに行っても大人気だろう」と勝手に思っていたので。いつも通り全力でやれば声援がもらえると思っていたんですけど、やっぱりアウェー戦の経験が足りなかったんでしょうね。

アウェーで力皇猛(左)に敗戦した棚橋弘至(右、05年7月)
アウェーで力皇猛(左)に敗戦した棚橋弘至(右、05年7月)

 もっとヒールっぽい動きというか、外敵としての立ち振る舞いができたら良かったんですけど、まだ俺には、その力がなかったということです。ノアファンを手のひらで転がせなかったというか。試合では藤波(辰爾)さんが天龍(源一郎)さんと戦った試合をイメージして、ドラゴンロケットの3連発も繰り出したんですが、勢いがあり過ぎて全部、力皇選手の上を通過していったという…。あれはもう威嚇射撃でしたね。当たりはしないけど、やる気はあるぞっていう(苦笑)。

 この大会のメイン、三沢(光晴)さんと川田(利明)さんのシングルマッチだったり、他の試合がすごく良かったので、よりヘコみました。そこまでの影響力があったか分からないですけど、自分があんまり良い試合ができなかったので、それが新日本プロレス全体の印象になってしまうのが悔しかったです。

 力皇さんは力があって迫力もありましたね。器用な印象もあって。でもやっぱり張り手は強烈でしたね。意識が一瞬飛びました。

 そんな悔しい思いを経て臨んだG1クライマックスでは初戦(8月4日、福岡)の矢野通戦で首をケガしてしまって、それをずっと引きずって良い結果が出ませんでした。Bブロック3勝3敗1分けで敗退してしまいました。シングル戦線では苦しい戦いが続くなかで、中邑(真輔)と保持していたIWGPタッグ戦線での活躍が中心になっていきました。