IWGPとGHCの両方のタッグベルトを失った後、2004年の3月28日両国国技館大会では、U―30の防衛戦で村上(和成)さんと「ノーピープル金網デスマッチ」を戦いました。自分がまだまだ未熟でキャリアの中でも忘れられない、悔しさの残る試合です。
コロナ禍で感じたことは、みなさんに見て楽しんでいただいて、それをエネルギーにするのがプロレスの理想的な形。「ノーピープルマッチ」は本当に切なかったし、大会を盛り上げきれなかったのを痛感していたので。スタジオでの試合を終えて会場に向かったんですけど、控室でめちゃめちゃ落ち込んでたんです。お客さんの前に出ていきたくないなって。
そうしたら後藤(達俊)さんが「どうしたんだ、棚橋」と声をかけてくれたんです。落ち込んでいる理由を説明したら「お前は精一杯やったのか?」と聞かれて「はい、精一杯やりました」と答えたら「じゃあ、胸を張って行ってこい」とリングに送り出してくれたんですね。それがキッカケで「ファンの方に楽しんでもらう」という軸と「自分が100%力を出せたかどうか」という2つの軸で考えられるようになりました。
でも、この年はまだまだ試練が続きました。6月5日大阪府立体育会館ではボブ・サップの持つIWGPヘビー級王座にキャリア初挑戦が決まったんですが、サップがドタキャンしてしまったんです。本当にすんなりいかないですね、俺は…。
サップと戦うにはどうしたらいいかなといっぱい映像も見ていたんですけど、結果的には直前の格闘技の大会でサップに勝った藤田(和之)さんと新王者決定戦を行うことになりました。確かにガクッとはきました。でも俺よりもファンの方のほうがガクッときてるはずなので、そこから楽しんでもらうためにはどうすればいいか、勝つためにはどうしたらいいかすぐに切り替えました。
藤田さんは道場生時代の先輩なんですが、この時は別人でしたね。目がイッてたというか、人と戦ってる気がしない恐怖感はありました。ただ、ここで引いたらカッコ悪いと思ったので持てるすべてをぶつけました。
当時はブログやSNSもなかったので直前に闘魂ショップ大阪店でイベントがあった時にファンの方に「棚橋コール頼むね」って根回しして。実際に会場の空気は大棚橋コールだったですけど、試合は顔面蹴りでKO負けとなってしまいました。頭を蹴られて本当に記憶が飛んでたのかな…試合後はあまり覚えてない。負けた悔しさよりも、あの状況で藤田さんに恐れず向かっていけたという自信にはなりました。
ただ後の自分の言葉を借りると、あの時のIWGPは遠すぎて見えなかったですね(苦笑)。













