2004年の半ばくらいから、俺と柴田(勝頼)さんと中邑(真輔)の3人が「新闘魂三銃士」と呼ばれるようになりました。中邑は02年に入門した後輩で「背が高いな」という印象でしたね。03年12月にはIWGPヘビー級を取って先を越されていたんですけど、地道に上がっていってこそファンのみなさまに応援してもらえると思っていたので「うわあ、大変な方の道を行ったな」という目で見ていました。
この呼称に「くくるな」みたいな感じで、中邑と柴田さんが否定的なコメントを先に出していたので、これは誰か一人がやる気を示さないと2人が生きないし「うまくいかないぞ」と思ったんです。なので、あえて「よおし! 俺たちは期待されているぞ!」みたいなスタンスを示してました。最近で言うと「令和闘魂三銃士」(海野翔太、成田蓮、辻陽太)は全員が全員否定してましたよね。誰か一人やる気出してたら逆に個性になるんですけどね(笑い)。
この年のG1クライマックスでは躍進することができました。準決勝(8月15日、両国)で天龍(源一郎)さんに首固めで勝って、天山(広吉)さんとの優勝決定戦に駒を進めたんです。当時のトーナメントでBブロック1位の俺は天龍さんに勝って2試合目。一方で同2位の天山さんは中邑、柴田さんの2人と戦う必要があって3試合目だったんですよ。気持ち的にも体力的にも余裕があって、ゴングが鳴ってロックアップした時に「ああ、これは天山さん結構限界だな」と勝機を感じていました。
G1決勝の舞台というのは頭一個抜けるチャンスじゃないですか。先に中邑と柴田さんが負けてるトーナメントの巡り合わせも含めて「持ってるな」って思っていたんですが…。最後はアナコンダバイスでギブアップしてしまって、新闘魂三銃士が3タテされる結果になってしまいました。
もちろん悔しさもあったんですけど、キャリア的にも、まだまだこれから行けるというのがあったので充実感の方が大きかったです。当時は闘魂三銃士の武藤(敬司)さんと橋本(真也)さんが抜けたことで「第3世代」と呼ばれる選手たちが越えるべき壁を失った中で、俺たちが上がってきてようやく世代闘争の構図が出来上がってきました。だから当時から天山さんや永田(裕志)さんたちが下からの突き上げを受けきってくれたということには、感謝の念を抱いてますね。
そんな中、今でも覚えているのが、04年10月1日後楽園大会で行われた新闘魂三銃士と第3世代の6人タッグマッチ(棚橋&中邑&柴田VS永田&天山&中西学)です。結果的に最初で最後のトリオ結成になるんですが、この試合はとにかく大変でした――。













