2002年11月に刺傷事件(※)というスキャンダルを起こし、翌年の2月まで欠場することになってしまいました。もうプロレスを続けられないなと思っていたところで、長州(力)さんがお見舞いに来てくれて「人生は長い。諦めずに頑張れ」と言っていただいて、すごく励みになりましたね。
03年2月16日両国大会の復帰戦は、久しぶりの試合だったので、緊張感の方が勝ってました。「どんな顔をして出ればいいんだろう」「どう見られているんだろう」というのがずっと気になっていたんですけど、嫌な役回りであるはずの対戦相手には中西(学)さんが名乗りを上げてくれたり、周りの人たちの思いをすごく感じて。「一生懸命プロレスをやっていくしかないな」と吹っ切れました。あとは試合内容とか、その後をどう生きていくのかをちゃんと見せて、少しでも信用してもらうようにするしかなかったですね。
復帰後はすぐにチャンスをつかむために、30歳以下を対象にしたU―30無差別級王座の新設を提唱しました。プロレスラーというのは30を過ぎて実力も体力も揃ってきてスター選手という風潮があったところで、20代の選手にフォーカスさせることで序列を狂わせたい狙いがあったんです。
このU―30の初代王者決定リーグ戦を勝ち抜いて、4月23日広島大会で行われた決勝戦では真壁(刀義)さんと対戦しました。真壁さんも俺よりキャリアが上で、一日も早く勲章が欲しいところだったと思います。この試合にドラゴンスープレックスで勝利して初代王者になれたことは、キャリアの中でもすごく大きかったですね。
このベルトで多くのタイトルマッチを経験できたし、U―30は俺の青春です。タイトルマッチの盛り上げ方や試合の組み立てが確立されてきた部分はあります。特に印象に残っているのは丸藤(正道)選手との防衛戦(03年12月9日、大阪)です。すげえ人がいるなと、ちょっとヤキモチを焼きました。俺も後に「太陽の天才児」と呼ばれましたけど、この時は本当の天才を知りました。
格闘技から来た選手でショーン・オヘアと戦ったこともありました(04年5月3日、東京ドーム)。時代に翻弄されながらも「U―30だけはまっとうなプロレスをやりたい」という思いが俺にはあって。なかなか自分一人の力では、かなわない部分もあったんですけど、できるだけのことをやった自負があります。
そんなU―30戦線と並行して、活躍の場をタッグ戦線にも広げていきました。そのことによって、より多くの経験を積むことができるようになったんです。
※交際関係にあった女性から刃物で背中を刺されて重傷を負う。













