2004年10月1日の後楽園ホール大会では柴田(勝頼)さん、中邑(真輔)との新闘魂三銃士が最初で最後のトリオを結成しました。対戦相手は永田(裕志)さん、天山(広吉)さん、中西(学)さんだったんですが、当時は柴田さんがとにかく反発していて。俺のことは蹴るし、中邑も「やってらんねえよ」みたいになってるし…。俺だけ「まあまあ」ってなだめる狼群団のヒロ斎藤さん的な“ヒロ棚橋”と化していましたね(笑い)。
チームとしては全然機能してなかったですけど、3人並んだら絵になるなって、今思うと感じます。俺の中で新闘魂三銃士は、小説などでいうところの“伏線”ですね。ここがあったから、将来的な対戦が面白くなるという。
さらに8日後の10月9日両国大会では、中邑との初タッグで武藤(敬司)さん、西村(修)さんと対戦しました。いや~我ながらいろいろな方向にちょっかいを出してるなって思いますね。人物の相関図を描いた時にたくさんの矢印の中心に来るのが主人公なんですよ。今の世代の中に、それを頭に置いておける選手がいれば、コメントとかもめちゃくちゃ面白くなると思うんですけどね。「勝ちます」「頑張ります」だけじゃなく、矢印を飛ばせるようになるといいんじゃないかな。
この両国大会は苦しい時代を象徴する大会で混迷していました。IWGPヘビー級王座戦では佐々木健介さんにチョークスリーパーをかけた藤田(和之)さんが後方に倒れ込んで、そのまま3カウントが入ってしまったり…。俺は常に試合会場の隅で、プロレス好きの“棚橋少年”が見ていて「どうしたら面白い?」って聞きながら試合しているようなところがあるんです。だから見たいものが見られないあの時代は複雑な心境で見ていました。
そんな中でもファンの間では、若い世代を支持する声が上がっていました。11月13日の大阪ドーム大会ではファン投票で俺と中邑のシングルマッチが1位となって実現することになったんです。ところが大会3日前になって(アントニオ)猪木さんの強権が発動されて、カードが変更されてしまいました。
当時から「中邑との初対決はいつやるんだろう」と、ファンだけでなく自分の中でも思っていたので「ここで来たか」と思っていたんです。でも当時は、その対戦カードに集客力も猪木さんに届く影響力もなかったということなんでしょう。俺よりも猪木さんと関係性の深い中邑の方がダメージがあったんじゃないかな…。結果的にこの大会では天山さんと組んで当時世間をにぎわせていたハッスルの小川(直也)さん、川田(利明)さんと対戦することになったんです。













