【中島輝士 怪物テルシー物語(34)】少し時代が先に進んでしまいますが、今回もプリンスホテルの後輩であり、ソウル五輪のチームメイト、西武、日本ハムOBでもある石井丈裕について書かせていただきます。
石井はソウル五輪のあった1988年ドラフトで西武から2位指名を受け入団。2年目の90年、2月のキャンプで名球会の小山正明投手コーチ(阪神、ロッテOB)からパームボールを伝授され、投球の幅を広げたのは大きかったでしょうね。
シーズン2度目の登板となった5月17日、ロッテ戦に先発し1安打、6奪三振の快投でプロ初完封勝利を挙げました。それをきっかけに先発ローテの座をつかみ、7月までに6勝を挙げる活躍でオールスターにも初選出されました。後半戦ではあまり成績を伸ばせずシーズン通算8勝でしたが、初の規定投球回となる133回1/3を投げ、リーグ6位の防御率3.38と奮闘し西武のリーグ優勝にも貢献しています。
同年の日本シリーズでは西武が巨人を4タテしてしまい登板機会がありませんでした。それでも5戦、6戦と戦っていれば登板機会はあったはずです。順調なプロとしてのスタートに見えましたが石井は91年、右後背筋痛などに苦しみ前年からイニングを減らし110回1/3。それでも7勝5敗、防御率3.26とチームの連覇に貢献しました。広島と戦った日本シリーズでは、第6戦で郭泰源の後を受け、リリーフ登板し日本シリーズ初勝利も経験しています。
そして92年、石井にとってはキャリアハイのシーズンが到来します。シーズン当初は鹿取義隆さんや潮崎哲也らとリリーフ陣を形成し、抑え役もこなすなど活躍。6月半ばからは先発ローテの柱として君臨し、27試合(19先発)で148回1/3を投げ15勝3敗3S、防御率1.94(近鉄・赤堀元之に次ぐリーグ2位)のフル回転で西武3連覇の原動力となりました。
沢村賞、MVP、ベストナイン、正力松太郎賞など数々のタイトルを獲得しました。高校、大学時代は控え投手ながら、社会人のプリンスホテルで才能が開花。ソウル五輪を経て、プロでは投手王国の西武に入団して郭泰源、工藤公康、渡辺久信らそうそうたるメンバーの中で下から、下から突き上げていった。石井の生きざまを感じますね。
92年は日本シリーズでは第7戦で155球の熱投を見せ完投勝利をつかみ胴上げ投手にもなり、シリーズMVPです。石井は西武、日本ハムでプレーし引退した後、台湾では台北太陽の監督、韓国ではロッテの投手コーチなどを歴任。西武で指導者として古巣に貢献しています。その後もプロ、アマ球界の発展に尽力しています。
この台湾や韓国での指導者としての経験も、時代は前後しますが私との共通点です。社会人時代に全日本のメンバーとしてしのぎを削った台湾、韓国の国内リーグで指導者として関われたことも、元全日本メンバーとして何かのご縁だと思っています。












