【中島輝士 怪物テルシー物語(15)】母校の福岡・柳川高校には思い出がいっぱい詰まっています。本当にこういう連載の機会をいただいて、昔話をするうちにいろいろなことを思い出します。
先生方も個性的でしたね。1年時担任の「鬼の熊丸」と呼ばれていた熊丸先生は、めちゃくちゃ厳しい先生でね。女子卓球の指導者としては有名で名物監督でした。高校卒業後には、全日本選手権で優勝するような選手も育てています。いつも長い物差しを持っててね。怖かった。そういえば一昨年、母校に講演会で行ったときに熊丸先生と一緒に写真を撮ってもらいました。
優しすぎる中野先生も印象的でした。この先生は福岡・久留米出身で自転車競技の世界選手権10連覇を達成した「世界の中野」こと、中野浩一さんの親戚なんですよ。みんな全然、言うことを聞きませんでしたね。
現役の僧侶であり教員という先生もいて、この先生も面白かった。ジャケットの胸ポケットから長財布を出して「今夜は久留米の夜の蝶を捕まえに行くからな」とニヤリと笑います。生徒からは「そのお金はお布施だろ!」と突っ込まれるのが定番でしたね。
どの先生もみんな野球部を応援してくれていました。野球をしっかりやれと、そういう雰囲気の学校でね。今は校則も厳しくなっているかとは思うんですがね、当時は厳しくも自由があって楽しい学校でした。
野球部のグラウンドではスピリチュアルな体験もしました。2学年先輩の月足さんという方が、私が入学する前に練習中に熱中症のような症状で亡くなられるという悲しい事故がありました。柳川の先輩で近鉄、阪神で活躍された久保康生さんの同級生に当たります。そういう知識がすでにあったからかもしれませんが、誰もいないはずの雨のグラウンドのセカンドの守備位置に、いるはずのない人影を見たことがありました。
夏の県予選が終わると一気に時間が過ぎ次の進路を考えなくてはいけない時期に入ります。プロ野球のスカウトが見に来てくれていたことは分かってましたし、自分もプロに行きたいと思ってはいました。ただ、高校2年の秋に私は父を亡くしています。そういう背景もあり、母としては安定した社会人野球の世界に進んでほしいという希望を持っていました。
間違いなく父が存命であれば、プロに挑戦していたに違いないでしょう。その後、どうなっていたかは分かりませんが、どこかの球団に投手として入団していたことでしょう。8球団が興味を持ってくれていて、ある球団はドラフト2位を確約してくれていました。
しかし、現実は違います。女性としてはプロ野球界なんて未知の世界でしょう。怖かったんだと思います。母は肝っ玉母ちゃんでしたが、この時だけはちょっと違いましたね。私を心配してくれてのことですから、全く恨みなんてないですが、本当はプロに進みたかったですね。
今思えば、契約金をもらってプロに入った方が親孝行だったんじゃないのかとも思うのですが、私も高校生でしたからね。自分の頭には全くなかったんですが大阪の松下電器さん、東京のプリンスホテルさんなどからお誘いを受け、高校卒業後はプリンスホテル野球部にお世話になることを決断しました。












