巨星墜つ――。プロ野球巨人の終身名誉監督で選手、監督として活躍し、国民栄誉賞も受賞した長嶋茂雄さんが3日早朝、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。V9時代に巨人担当を務め、長嶋さんとは50年来の付き合いがあった本紙OB・中村康博氏(故人)が生前に立教大の先輩でもあるミスターの素顔について〝独白〟。真の魅力、都市伝説的に広まっている〝もっともらしいエピソード〟のうそなど、番記者だったからこそ知り得た「遺稿」をつづっていた。

 7歳上の長嶋さんは、立教大水泳部出身の私を何かとかわいがってくれた。日々の取材ではもちろん、食事にも何度となく連れて行ってもらったし「プロ野球選手と付き合っていくなら、ゴルフぐらいできたほうがいい」と言って「上野のアメ横でゴルフクラブを買え」と、大卒の初任給が3万円とか4万円だった昭和40年代半ばに、10万円入った封筒をポンと渡されたこともあった。結婚する際には「俺がお相手を審査する」と言われ、多摩川グラウンドに婚約者を連れて行き「よし、いいだろう」とゴーサインを出してもらったのもいい思い出だ。

 教わったこともたくさんある。強烈な印象として残っているのが、東スポの企画で行った女優・冨士眞奈美さんとの対談でのことだ。お互いがファンだったこともあって大いに盛り上がったのだが、取材場所の後楽園飯店を出た後に、長嶋さんから烈火のごとく怒られた。夏場で暑かったこともあり、私がノーネクタイに半袖のワイシャツだったからだ。「俺にはそれでもいいが、初対面の冨士さんに失礼だろ」。サラリーマンとしての心構えを説いてくれたのも長嶋さんだった。

東スポの企画で女優・冨士眞奈美と対談した長嶋さん(1971年)
東スポの企画で女優・冨士眞奈美と対談した長嶋さん(1971年)

 聞く耳も持っていた。あれは忘れもしない、V6のかかった1970年のロッテとの日本シリーズだ。後楽園球場での第1、2戦は巨人の連勝だったが、長嶋さんは2試合で7打数1安打。3四球は選んでいたが、自分の打撃に納得していなかった。すると敵地・東京スタジアムで行われた移動日練習の際に「ちょっと来い」と言って私をロッカールームに連れて行った。大きな鏡を前に、長嶋さんは「今から素振りをする。後ろから見て気づいたことがあったら言ってくれ」と言う。

 素人ながらに「バットのヘッドが寝て出ているような感じがします」と指摘すると、長嶋さんは「分かった」と、うなずくなりグラウンドに飛び出した。黒江透修さんの順番を飛ばしておもむろにフリー打撃を始め、柵越えを連発。ベンチに戻ってくると、改めて「おい、分かったぞ」と、うれしそうな顔をした。

 本当に驚いたのは翌日だ。第3戦では、初戦で5打数1安打とてこずった木樽正明から1―0の4回にソロを右翼席に放り込み、3―3の延長11回には小山正明さんから決勝2ランを打った。チームが逆転負けした第4戦でも先発の成田文男から2打席連発。第5戦も2安打し、計19打数8安打6打点、4本塁打で最優秀選手に選ばれた。役に立つと思ったことは、素人の考えだろうと聞き入れる。そんな一面がミスターにはあった。

 この際だから食に関する誤解を解いておこう。世間で言われている、ふぐ刺しの食べ方がその一つ。現役時代から何度となく同席している中で、長嶋さんが箸を皿で1周させて豪快に食べる…というシーンを私は一度として見たことがない。そもそも長嶋さんが行くような店では、個室で女中さんも付きっきり。食べやすいような分量の刺し身をネギや紅葉おろしを入れて巻いてくれる。気を許していた私が相手でも箸でザアーッというようなまねをしたことがないのだから、相手がそれなりの立場の方ならなおさらだ。きっと誰かの作り話だろう。煮魚を片面だけしか食べないというのもうそ。ただ、甘い部分だけを2~3口食べて捨てていたという〝メロン伝説〟は私も目撃しており、これは本当だ。

 少し話が横道にそれてしまったが、とにかく長嶋さんは人に魅せる、見られることを第一に考える人だった。テレビでは象徴的なシーンとして1959年にプロ野球初の天覧試合で阪神の村山実さんから放った劇的なサヨナラ本塁打や、三遊間の打球に横っ跳びして右手をヒラヒラさせながら一塁に送球するシーンが繰り返し放映されているが、ミスターが意識していたのは本塁打や三遊間のゴロではなかった。

 打撃で言うなら、好きだったのは三塁打。一塁も二塁も大きめに回り、ダイナミックに左足から三塁ベースの角を目掛けてスライディングする。打つ、走る、滑り込むの3要素でファンの目をくぎ付けにできる三塁打には長嶋茂雄の魅力が凝縮されていた。

 守備で〝大好物〟だったのが三塁前に転がってくるボテボテのゴロ。失速する打球に対して果敢にチャージをかけ、捕球すると肩口から柔らかく放る。守備での華麗なステップは歌舞伎の六方からヒントを得たもので、常にどう振る舞えばお客さんが喜ぶかを研究していた。

 野球を愛し、野球に愛され、ファンを愛し、ファンに愛された。長嶋さんには感謝してもしきれない。同じ時代を生きた人間なら、きっと誰もがそう思っていることだろう。(中村康博)