【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(30)】迷走が続いた1987年の年末には、またしても事件が待ち受けていた。12月27日の両国国技館大会で、俺は木村健吾と組んでマサ斎藤さん、ビッグバン・ベイダーと対戦する予定だった。

猪木さん(左)に挑戦状を手渡すタカ(87年12月)
猪木さん(左)に挑戦状を手渡すタカ(87年12月)

 ベイダーはビートたけしさんが結成した「たけしプロレス軍団」がアントニオ猪木さんに送り込んだ刺客で、この日が初登場だった。すると、たけしさんと一緒にリングに上がったガダルカナル・タカさんが、ベイダーと猪木さんの一騎打ちを要求した。

 猪木さんはこの日のメインで長州力との一騎打ちが組まれていたが、この要求に応じ、長州とベイダーが入れ替わる形でカードが変更になった。猪木さんと長州の目玉カードを見に来たお客さんは暴動寸前だ。結果的に俺の対戦相手の一人はベイダーから長州に変わったんだけど、新日本プロレスのドル箱だった「名勝負数え唄」のマッチアップは見るも無残なものとなった。

 試合中に握り飯が飛んでくるわ、ジュースの缶は飛んでくるわ…なぜこんなに惨めな試合をしないといけないのかとね。俺の中にはただただ悔しさだけがあった。レスラー人生「最悪の試合」と言ってもいいかもしれない。ファンに見放された試合というのはあまり記憶にないし、ものすごい屈辱だった。

 最終的に猪木さんは長州とも戦った上で勝利を収め、ベイダーには敗れてしまった。ファンは暴徒化して、両国国技館は備品も破壊される大騒動となってしまった。田中(ケロリングアナウンサー)が土下座して謝っていたんだけど、あれは仮に俺が代わりに土下座したところで収まるようなものじゃなかった。それだけファンが熱い時代で新日本を愛するがゆえに暴動だったんだろう。

 今振り返っても、あのカード変更は本来の新日本の戦いを見失っていた気がする。ビートたけしさんが出てきていたんだから、ファンの空気を読めば大きな話題をつくれたんじゃないのっていう思いもあるけど、裏を返して猪木さん流の考えでは「あれでよかった」となっていたのかも。あれぐらいのことが起きないと火はつかないんだって。インパクトの大きさをものすごく意識している人だったからね。

 さらに88年になると、3月いっぱいでテレビ朝日系の「ワールドプロレスリング」がゴールデンタイムから撤退してしまった。これは新日本プロレスにとって大きなダメージだった。もしかしたら両国の段階で撤退のことが猪木さんの耳に入っていたからこそ、ああいった爆弾をイチかバチかで落とす必要があったのかもしれない。

 止まらない負の連鎖に、俺もフラストレーションがたまっていた。そして沖縄の地で“革命”を起こしたんだ――。