【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(29)】1987年になると、ジャパンプロレスを設立し全日本プロレスに参戦していた長州力が新日本プロレスに復帰した。長州については全日本に行った時も、WJに行った時もキツかったんじゃないかなって。やっぱりファンのイメージは、そこに俺がいるかいないかになってしまう部分もあったしね。どうしてもヨソだと長州らしさがないというか、空回りしているように見えた。

 長州は6月12日の両国国技館大会でのIWGP優勝戦でアントニオ猪木さんがマサ斎藤さんを下した直後のリングに上がると「世代闘争」をアピールした。俺は当時欠場中で、ゲスト解説で放送席にいたが「お前らかみつかないのか!」と呼びかけられた。長州が持つプロレス感性の高さ、ワードセンスによって、俺も立たざるを得ない状況に追い込まれた。前田日明も「誰が一番強いかやってみればいいんだ」と彼らしく応じた。2人の言葉を超える言葉は、俺にはもうないよね。

 この世代闘争は8月19、20日の両国国技館2連戦で実現し、初日が5対5イリミネーションマッチ、2日目が俺、長州組と猪木さん、マサさんのタッグマッチが組まれていた。ところがマサさんが直前に欠場となり、旧世代軍に当時24歳の武藤敬司が入った。完全に苦し紛れ。2日とも新世代が勝利したものの、世代闘争のテーマは一気に薄れてしまい、ファンも肩透かしをくらった形になってしまった。

前田(左)は長州(右)の顔面をキック(87年11月)
前田(左)は長州(右)の顔面をキック(87年11月)

 世代闘争が不発に終わった後の11月19日の後楽園ホール大会では、あの「顔面襲撃事件」が起きた。6人タッグマッチで前田が長州の顔面を蹴ってしまい、長州は右目の眼窩底を骨折。前田は無期限出場停止処分を下された後、88年2月に解雇された。

 あれはやられた側が故意だと思えば、故意にも見える。もしもやられたのが俺だったら、あのまま怒り狂って前田にぶつけていってプロレスとして消化したかもしれない。ただ長州の中でUWFと険悪なものもあったし、新日本のムードと一緒に一気に火がついてしまって前田の追放につながってしまった。

 それでも前田の信念をファンは支持した。前田は88年5月に新生UWFを再興させてブームを生み出し、新日本はそれによってダメージを負うことになる。

 前田は99年に引退し、今は66歳になったけど、俺は今でも本気で彼のリング復帰を望んでいる。やっぱり「前田日明」というものをもう1回見たいし、本人の許せる範囲でいいからリングに立ってほしいと思っている。器用に体を動かす必要なんてない。71歳の俺ができてるんだから。彼のカリスマ性をまた見たいし、ファンにも見てもらいたいという思いがあるね。