【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(28)】1986年は新日本の試合を中継するテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の放送時間が定着していた「金曜夜8時」から「月曜夜8時」に変更された。テレビ局にも視聴率の流れがあるんだろうけど、伝統のプロレス中継枠からの撤退は選手として屈辱だった。

 そんな時期に海外武者修行から帰ってきたのが武藤敬司だった。デビュー2年目で米国修行に抜てきされた武藤の凱旋試合は月曜夜8時に変更された初回中継枠の目玉で、10月13日の後楽園ホール大会で対戦相手を務めることになった。どういうわけか、そういう役割はすぐに俺のところに来ちゃうんだよね。

 武藤は後に「闘魂三銃士」と呼ばれた橋本真也、蝶野正洋の3人の中でも特に野心家な部分があって「自分が上に行くんだ!」ってものを感じたね。そんな武藤と同じく野心家の前田日明が発端となって起きてしまったのが、今やあらゆるところで語られている「旅館破壊事件」だ。

 87年1月23日の熊本県水俣市体育館大会後の旅館でギスギスしていた新日本勢とUWF勢の関係を修復させるために坂口征二さんが懇親会を開いた。アントニオ猪木さん、坂口さんをはじめとした新日本勢とスタッフ、そしてUWF勢も前田ら全員が参加した。

 最初は和気あいあいとしたムード。俺は自分の食事を終えると部屋でくつろいでいた。ところが何やら騒々しくなっているので宴会場に戻ると、便所は詰まって水が流れ出しているし、壁には穴が開いているし、ドアは外れてるし、大変なことになっていた。

 その場にいなかったので実際は何があったかは分からない。後で聞いた話によると、宴会場に前田と高田延彦が残って社交性のある武藤も残っていたらしい。そんな中で武藤が前田にUWFスタイルへの不満をぶつけたことがキッカケで、殴り合いの騒動に発展してしまったと…。

 ひとしきり旅館で暴れた彼らは外でも殴り合っていたようで、俺や坂口さんはどちらかといえば「事なかれ主義」だから、とにかく現場を修復しようとしたのを覚えている。もちろんそんなのは無駄で、会社はだいぶ弁償したんじゃないかな。旅館に入った日には従業員全員が列になり「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれたけど、帰る時には誰も玄関に出てきてくれなかったよ…。

 今振り返ると武藤は武藤で新日本を守ろうとしたんだろうし、前田は前田でUWFを守ってきたプライドがあって、お互いの信念がああいう形で出てしまったんだろう。今の時代だったら一発アウトだろうけど、今はスタイルで、そこまでもめる選手たちはいないだろうね。それだけ2人のこだわりが強かったということなんだと思う。