【藤波辰爾連載#23】長州ら選手の大量離脱によって窮地に陥った新日本プロレスは一致団結するために1984年9月に箱根で合宿を行った。本気で危機だと思っていたんだけど、これも猪木さんの描いた絵だと思える今となっては、猪木さんの心中は「どうだったんだろう」って気持ちの方が大きいよね。

SSマシンを指さして禁断ワードを口にした(85年5月)
SSマシンを指さして禁断ワードを口にした(85年5月)

 長州力らと入れ替わるように新日本リングに現れたのは将軍KYワカマツこと若松市政さんがマネジャーを務めるマシン軍団。初登場は84年8月24日の後楽園大会で「キン肉マン」として登場する予定が、権利関係がクリアできずに頓挫。9月7日福岡大会でストロング・マシーン(後のストロング・マシン1号)が猪木さんとのシングル戦でデビューした。

 会社は選手が戦うテーマや見やすい図式をつくらなきゃいけないんだけど、マシン軍団は苦し紛れだった。アンドレ・ザ・ジャイアントがジャイアント・マシンに変身したり、迷走しているように見えたと思う。

 今さら改めて言うのも変な話だが、マシン1号の正体は平田淳嗣だった。85年4月18日には両国国技館大会のシングルマッチで対戦。初の両国大会とあってインパクトを残したかったから、封印していたドラゴンスープレックスを解禁し勝利したんだけど…。その1か月後にそれ以上の衝撃が生まれてしまう。
 5月17日の熊本県立総合体育館でマイク・シャープに勝利するとワカマツさんが襲撃に来た。そこにワカマツさんと仲間割れし、このシリーズから改名したスーパー・ストロング・マシンが俺の救出に入る。マイクを握った俺は何を思ったか「お前、平田だろ!」と正体をばらしてしまった。

 あのころは自分も、それなりの地位にいて会社の状況も分かっていたはずだけど、自分をコントロールできなかった。新日本は順風満帆に航海できない中、海賊船が来ていた状況。しかも海賊船に仲間たちが乗ってたりするから疑心暗鬼になり、思うような試合ができないフラストレーションもあった。

 そりゃ本当に正体不明ならリングに上がれるわけない。どんなマスクマンにも正体はある。でも、それを言っちゃダメだよね。ましてや一般の人だって平田だって思ってるのを、俺が言ってしまった。大会は生中継されていたからテレビ朝日のスタッフも控室に飛んできて「藤波さん、まずくないですか!」って。

 プロレス史に残る「迷言」だけど、藤波辰爾というレスラー像を考えれば、言ってよかったのかな。タブーを破ることなく生き続けていたら後の「飛龍革命」もなかったんじゃないか。ただ翌日から会場で「平田」コールを受けたマシンは複雑な心境だっただろうし、俺への怒りはあったかもしれないね。