【藤波辰爾連載#24】長州ら選手の大量離脱によって観客動員に苦戦していた1985年、新日本プロレスはカードもマンネリ化していた。

「キングコング」と呼ばれたブロディ
「キングコング」と呼ばれたブロディ

 シリーズの目玉となるような試合がなくなっていく中、9月19日の東京体育館大会ではアントニオ猪木さんとの師弟対決をやらざるを得ない状況になっていた。新日本を取り巻くファンやテレビ局の事情を考えた時に「迷っている藤波と猪木さんをぶつけちゃおう」ってことになったんだと思う。注目を集めるための最後の手段のような、完全に苦肉の策だよね。

 俺は沈みかけた新日本を何とかしたいと思ってリングに上がり、猪木さんの前に立った。印象に残っているのは足4の字固めで捕らえた猪木さんが「折れ!」と何度も絶叫して挑発してきたシーンだ。切羽詰まった戦いの中でも猪木さんは自分のオイシイところを知っているんだね。技をかけられながらも一つ上の格に行くすべを熟知しているのはすごいと感心した。だって、どうやったって4の字で折れっこないもんね(笑い)。

 でも、俺にはそれを上回る言葉がなかった。猪木さんの方が一枚も二枚も上だったんだなと改めて思わされた。結局試合は猪木さんの卍固めで敗れた。今にして思うと新日本にとっても一番いい形で戦いが終わったのかもしれない。88年8月8日に横浜で戦った試合もそうだったけど新日本の危機的状況で、ことあるごとに俺と猪木さんが戦ってファンがもう一度団結する部分は少なからずあったと思う。

 そんな猪木さんからの初勝利は86年12月12日、宮城県スポーツセンターで行われたIWGPタッグリーグ戦決勝戦。木村健吾とのタッグで猪木さん、坂口征二さんの「黄金タッグ」と激突し、ドラゴンスープレックスで猪木さんを破った。

 しかし、勝利の前には事件があった。本来ならジミー・スヌーカとのタッグで決勝戦に出場するはずだったブルーザー・ブロディが当日に試合をボイコットしたんだ。新日本と全日本プロレスの興行戦争、引き抜き合戦の末に、外国人選手もいろいろな知恵を使い始めてコントロールできなくなっていた。

 タッグといえども、デビュー14年目でついに師匠超えを果たし、勝って右手を突き上げたんだけど…。その時、ふと猪木さんの表情を見たら「ニヤッ」って笑っていたんだよ。後になって、あれはもしかしたら猪木さんの手のひらの上なのかなと思うようになった。要するにあえて自分が負けることでインパクトを与えて、ブロディの離脱というマイナスの話題をかき消そうとしたんじゃないのかな。

 やっぱり猪木さんは見ているところが当時の俺とは全然違ったし「ただものじゃないな」と思わされた初勝利だったね。