【藤波辰爾連載#22】長州力と抗争していた裏で、新日本プロレスの内部では不穏な動きがあった。1983年8月に、アントニオ猪木さんが社長を辞任、坂口征二さんが副社長から取締役に降格、新間寿さんが謹慎処分となった。猪木さんの個人企業「アントンハイセル」を巡る不透明な経理を、山本小鉄さんや大塚直樹営業部長らが問題にしたのだ。

 結果的にはテレビ朝日が事態収拾に乗り出し、11月の臨時株主総会で猪木さんが社長、坂口さんは副社長に復帰したのだが、俗にいう「クーデター事件」は会社に暗い影を落とした。一連の騒動の間に人気絶頂だったタイガーマスクは引退し、猪木さんの右腕として団体を盛り立てた新間さんも新日本を去った。失ったものは大きかった。

 今思えば反省点というのは、手順さえ間違えなければ改革ができていたと思う。それは坂口さんを猪木さん、新間さんと一緒にしてしまった点。本来なら坂口さんは一緒ではないんだよね。だから俺たちが坂口さんとちゃんと話し合っていれば、あの改革は成功していたんじゃないかと思う。

維新軍の(左から)長州、浜口、谷津、カーン
維新軍の(左から)長州、浜口、谷津、カーン

 内部のゴタゴタは84年に選手の離脱という形につながってしまう。新間さんが設立し、4月に旗揚げされた「UWF」に前田日明、藤原喜明、高田伸彦(現・延彦)、木戸修さんらが移籍。そして9月には長州、アニマル浜口さん、小林邦昭ら維新軍のメンバー13人が全日本プロレスに移っていった。

 冷静に振り返れば長州たちの離脱は予定調和な部分があったんじゃないかな。彼もあそこまでのレスラーになったら、自分で旗を揚げてみたいという気持ちになるのは分かる。ただ長州の性格からして、辞める時に社長室に行って辞表なんて出す? 普通だったら長州なんて感情的になってそんな手続きなんて踏まないでしょ。俺も子供だったし若かったね…そんなこと当時は思いもしなかったよ。

 同じようにUWFも猪木さんの一つの“仕掛け”だった。新日本は旗揚げから12年が経過し、大所帯になっていた。猪木さんは、このままだとマンネリ化してしまうという思いがあったと思う。どこかに危険分子をつくっておくというか「一寸先は闇」みたいなものが好きだからね、あの人は。本来だったらUWFによって新日本が分解されてしまうはずが、持ちこたえてしまうものだから猪木さんは面白くない。そこで出てきた2つ目の仕掛けが、長州たちの大量離脱だったんじゃないかと俺は思っている。

 当時は大変だったけど、結果的に新日本は注目される存在になっていたわけだから、すべては猪木さんの手のひらの上だったのかもしれない。もちろん、そのたびに純粋な俺や坂口さんは怒り狂っていたんだけどね…。