【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(18)】妻と結婚した1981年はレスラーとしても転機の1年だった。10月にWWFジュニアヘビー級王座を返上し、ヘビー級への転向を決断。結婚して生活にも余裕が出てきたというか、自然と体に脂が乗って大きくなってきた時期でもあったしね。この年の4月にはタイガーマスクがデビューして、ジュニアの新しいスターが誕生していたことも決断を後押しした。
82年の年明けから「飛龍十番勝負」がスタートし、WWFヘビー級王者ボブ・バックランドと対戦。ハルク・ホーガン、アブドーラ・ザ・ブッチャーらヘビー級の強豪外国人と試合を重ねた。新日本の専務、新間寿さんは常にタレントに磨きをかける方針で転向した以上は徹底的に試練を与えるという感じだった。俺も必死になって応え、8月にはマジソンスクエア・ガーデンでWWFインターナショナルヘビー級王座も奪取した。
順調にステップアップしていた俺の前に現れたのは長州力だった。10月8日に後楽園ホールで行われた「闘魂シリーズ」開幕戦、俺はメインでアントニオ猪木さん、長州とのトリオでブッチャー、バッドニュース・アレン、S・D・ジョーンズと対戦した。レスリングでミュンヘン五輪にも出場した長州は74年に鳴り物入りで入門してきた。でもプロレスとレスリングのギャップに悩む時期があったようで、なかなかブレークできなかった。この試合は4月からのメキシコ遠征を経ての凱旋帰国試合だった。
このシリーズでは10月22日の広島県立体育館で長州が俺のベルトに挑戦するはずだった。対戦意識はあったが、あんなことになるとは思ってもいなかった…。控室の時から長州のテンションが上がっていて、リングで自分が先にコールされるとリングアナウンサーに抗議するし、俺に先発するよう指示したり、自分もイライラが抑えきれなくなった。試合中に自分からけしかけて、仲間の長州に張り手を浴びせてしまったんだ。
これに長州もキレて猪木さんそっちのけで大乱闘になった。今思い起こせば俺もピュアだったね…。後になって試合を見返したら、猪木さんも「やめろ」みたいな感じで止めてはいるけど、まるでこうなることを分かっていたんじゃないかというような立ち振る舞いだった。おそらくは長州の不満やジェラシーを見抜いて、猪木さんが行動を促したんだろうね。猪木さんは俺の性格も知り尽くしているし、長州を仕向けることで2人の本気の憎しみ合いが生まれるように持っていったんじゃないかな。
今も「かませ犬事件」として語られるこの日の反逆を機に長州はライバル関係になった。そして「名勝負数え唄」と呼ばれる抗争を展開していくことになる――。













