【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(16)】WWWFジュニアヘビー級王者時代、思い出の試合といえば1978年10月20日に大阪・寝屋川市民体育館で行われたチャボ・ゲレロ戦。10度目の防衛戦だ。

藤波辰爾はガウンを着て披露宴に登場(81年12月)
藤波辰爾はガウンを着て披露宴に登場(81年12月)

 初のメインイベントでのシングルマッチでテレビでも生中継された試合だった。試合形式は61分3本勝負。1本目はチャボに取られて、迎えた2本目にドラゴンロケットをかわされると、場外のパイプ椅子にぶつかり大流血してしまった。後で聞いたらテレビの放送がまだ15分くらい残っていて試合が止まってしまったら…と関係者はひやひやしていたらしいね。

 もちろんメインを任された以上、最後まで戦い抜かなければいけないという強い責任感があった。血を流してもうろうとしながらも2本目を取り返し、3本目はコブラツイストでギブアップを奪い勝利を収めた。チャボという最高のライバルとの激闘が特別な思い出になっているのは、もう一つ理由がある。

 妻の伽織と出会うキッカケを与えてくれたことだ。妻はプロレスファンの弟と寝屋川大会を観戦していて、大流血したオレを心配して宿泊先のホテルにお見舞いの果物籠を持ってきてくれた。とても豪勢だったので印象に残っていたんだけど、5日後の10月25日の堺市金岡体育館大会で若手の試合を見ている時にあいさつをされて連絡先を交換。お礼を兼ねて食事に誘い、それをキッカケに交際がスタートした。

 それから2か月ほどがたった79年の年明け、山本小鉄さんの自宅に誘われて奥さんの手料理を食べさせてもらっていると「お前、彼女いるのか?」という話になった。将来結婚するつもりもあることを伝えると「俺の見てる前でプロポーズしろ」と。あの人はいつもムチャぶりなんだよ…。深夜だったけど、お酒が入っていた勢いで、そのまま電話し「結婚してください」と伝えた。

 ただ新日本プロレスの営業本部長・新間寿さんからは「彼女がいてもいいから3年間は結婚しちゃダメだぞ」と言われていた。当時は凱旋帰国したばかりで会社は女性ファンが離れることを恐れていたし、妻との同棲は認めてもらったが、婚姻届を出すのはしばらく待つことになった。

 その約束を守ったお返しに、新間さんも最高に粋なサプライズを用意してくれた。81年6月8日のWWFニューヨーク・マジソンスクエア・ガーデン大会での試合後、リングアナウンサーがフィアンセとして妻を紹介し、エプロンに上げてくれたのだ。リング上での電撃的な婚約発表という新間さんとビンス・マクマホン・シニアの演出には感激した。

 その年の12月14日の結婚式から40年以上がたつけど、今も支え続けてくれている妻には感謝の言葉しか見当たらない。