【達川光男 人生珍プレー好プレー(13)】1973年春の選抜大会は、まさに「江川のための大会」でした。開幕前から栃木・作新学院のエース江川卓の一挙一動がメディアで大々的に報じられ、大会初日(3月27日)第1試合の大阪・北陽との1回戦には「怪物」をひと目見ようと甲子園球場には5万5000人の大観衆が詰めかけました。
そんな周囲の喧騒をよそに江川はいきなりの19奪三振&完封勝ち。天地真理の「虹をわたって」にのって入場行進した後にスタンドから生観戦した私は度肝を抜かれました。「下から上にホップする剛速球」というウワサは本当で「手も足も出ない速さ」というものを初めて目の当たりにしました。
だからといって、ひるんではいられません。我が広島商も静岡商との1回戦に3―0で快勝。7番で出場した私も2回にチーム初安打となる左前打で出塁し、先制のホームを踏むなど攻守で貢献しました。続く島根・松江商との2回戦も1―0で制しました。一応言うときますけど、私が7回一死三塁で決勝のスクイズを決めたんですよ。3球連続のウエストから外角高めにきたカーブを一塁側にプッシュバントしてね。
広島商はエース佃正樹の3試合連続完封で準々決勝の東京・日大一戦にも1―0で勝ち、準決勝の相手に決まったのが作新学院です。江川は2回戦の福岡・小倉南戦で7回1安打10奪三振、準々決勝の愛媛・今治西戦では7回二死までパーフェクト投球を披露して20奪三振。連続無失点記録を135回まで伸ばしていました。
前年から甲子園で優勝するために「打倒江川」の奇策として「スクイズ失敗作戦」までしてきた作新学院との大一番は、降雨のため1日順延となり、4月5日に行われました。決戦を前に迫田穆成(よしあき)監督から授けられた策は「打席の一番前に立ち、当たってでも出塁するぐらいのつもりで外角低めのボールを狙え」。浮き上がってくる高めの球はストライクでも捨てろという割り切ったものでした。
もし踏み込んで打ちにいって、ボールがインハイに来て頭にでも当たったら大ケガになるでしょう。江川の剛速球なら死んでも不思議ではありません。でも「打倒江川」と甲子園での優勝は、帽子のつばに「全国制覇」と書き込んだ私たちにとっての悲願。みんな打席では右打者も左打者もバットを短く持って一番前に立ちました。
両チーム無得点で進んだ試合が動き出したのは1点先制された直後の5回裏です。狙い球を外角低めに絞り、打球が前に飛ばずともファウルで粘るなど4回終了時で77球を投げさせたことが、ボディーブローのように効いたのかもしれません。
四球で出塁した私を二塁に置いて、二死から佃の振り遅れた一打が一塁後方にポトリと落ちて同点に。江川にとっては140イニングぶりの失点で、一気に試合の行方は分からなくなりました。












