【達川光男 人生珍プレー好プレー(12)】「令和の怪物」と呼ばれているのが、現在はロッテで活躍する岩手・大船渡高出身の佐々木朗希。神奈川・横浜高時代に甲子園で春夏連覇を達成した松坂大輔は「平成の怪物」と呼ばれ、プロでも日米通算170勝を挙げました。2人の称号に元号が加えられるのは“元祖”としてこの男がいたから。そう江川卓です。

 1972年秋の中国大会を制して翌春の選抜大会出場を決めた広島県立広島商高、通称「広商」は迫田穆成(よしあき)監督が選手として出場した57年夏以来となる甲子園Vに向けて、早い段階から「江川対策」を徹底してやっていました。その一つとして知られるのが「スクイズ失敗作戦」です。

 江川は2年夏まで甲子園と無縁でしたが、その剛速球で全国に名をとどろかせていました。大会前の時点で2度の完全試合を含むノーヒットノーランを8度も記録し、新チーム結成から甲子園に乗り込むまで111イニング連続無失点。メディアでも73年の選抜大会は「江川で始まり、江川で終わる」「江川のための大会」などと言われていたほどです。

 ただ、現在のように映像資料を容易に取り寄せられる時代ではありません。江川について知っているのは新聞などの情報やウワサだけ。「怪物」のイメージばかりが膨らみ、これはなんとかしないといけないとなったわけです。

 当時の江川は「走者が得点圏に進むまで本気にならない」と言われていました。プロに入ってからも何かと言われた「手抜き」というやつです。今では「ピンチでギアを上げる」と好意的な表現を使いますが、ようは同じこと。だったら走者をためたうえでどうするかと、迫田監督が考えに考え抜いて生み出したのが有名な「スクイズ失敗作戦」でした。

 ご存じない方のために簡単に説明しましょう。無死、もしくは一死二、三塁の状況で打者がスクイズを空振りし、飛び出していた三走が三塁へ戻る間に二走が三塁へと近づき、捕手が三塁へ投げたタイミングで接近していた三走と二走が一気に本塁を目指すのです。三走はマウンド側から滑り込んでタッチアウトになり、その隙に背後を走っていた二走がバックネット側から本塁を陥れるという“奇策”でした。

 これを何度も繰り返し練習しました。守備側の心理や動きを理解するため、攻めと守りを交互に毎日1時間。本番では雨の中でする可能性もあるから、ぬかるんだグラウンドでもやりました。

 実際に公式戦でも実践したんですよ。秋季大会決勝の広島工戦でした。打者のスクイズ空振りから走者の動きまで完璧でしたが、球審も想定外のプレーに驚かれたのでしょう。協議の末に「二塁走者が三塁走者を追い越した」と解釈され、得点は認めてもらえませんでした。

 そして迎えた選抜大会の1週間前。メンバー発表の際、迫田監督から背番号順に「1番佃、2番達川…」と自分の名前が呼ばれたときには武者震いしました。