【達川光男 人生珍プレー好プレー(7)】1971年春、晴れて県立広島商高、通称「広商」に入学。すぐさま迫田穆成(よしあき)監督率いる野球部に入部しました。私と同じような思いで門をたたいた1年生は70人。見渡すと、どこぞの中学でエース兼4番打者だったような選手がゴロゴロいました。
私の通っていた広島市立牛田中は入学時に創立7年目という新しい学校で、所属していた野球部も和気あいあい。髪形をとやかく言われることもなく、昨夏の甲子園大会を制した神奈川・慶応高のように自由でした。しかし、広商では坊主頭一択。一緒に入部届を出しに行こうと誘った友達は「坊主にせにゃいけんのなら入らん」と野球部入りをあきらめました。
髪形ばかりでなく、靴下は黒か紺でパンツは力士がはくような四角い白いもの、肌着はグンゼで制服の詰め襟は必ず締める…と身なりに関して細かく決められていました。毎月末に五厘刈りにするのが習わしで、今のようにバリカンも普及していないから早朝に開けてくれる理髪店に飛び込んだもんです。
そんな広商で入学式当日に課せられたのが、今でもグラウンドに掲げられている「広商野球部員心得」を暗記することでした。「一 広商野球部は精神野球に徹すべし」から「八 ファイトなき者は去れ」まで。一つでも言い間違えたり覚えていなかったら、先輩から“かわいがり”を受ける危険性もあったので、一日で丸暗記しました。今でも人から「記憶力がいい」と言われるのは、こうして鍛えられたからかもしれません。
当時は「令和ならアウト」の理不尽なことがまかり通っていた時代でした。先輩に発していいのは「はい」と「いいえ」「何ですか?」の3つだけ。黒いカラスでも先輩が「白」と言えば白なんです。野球部部長の畠山圭司先生は「1年生のうちはバカになれ。修行だと思うてやり切るんじゃ。そうすれば光が見えてくる」と励ましてくれましたが、つらい日々でした。毎日のように一日が終わるとカレンダーの日付に「×」を書いていましたよ。今日もなんとか乗り切れた…と。
1年生当時の私の生活を映像化するなら、BGMは70年4月にリリースされた藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」でしょうね。「♪十五、十六、十七と私の人生暗かった」って。藤圭子と言っても若い人には分からんじゃろうね。宇多田ヒカルのお母さんで「圭子の夢――」は大ヒットしたんですよ。
音楽の話題をしたついでに言うと、今も脳裏にこびりついている曲が2つあります。ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」のオープニングで流れる「ビタースイートサンバ」と65年から90年まで日本テレビ系で放送されていた「11PM」の「♪サバダバサバダバ」ってやつです。後者は曲名があるのか知りませんが…。印象に残っている理由は次回で。












