【達川光男 人生珍プレー好プレー(3)】プロ野球の世界に限らず、ファンがいればアンチファンもいるように、物事の受け取り方は人によって違います。私の知名度が全国区になるキッカケとなった内角球への「当たったアピール」もそうです。
旧広島市民球場では、私が「当たった、当たった」とやれば、スタンドも「たっちゃんがやりよった」と大盛り上がりでしたが、やられた投手にしてみれば面白くなかったのでしょうね。派手にやりすぎて痛い目に遭ったことがありました。
あれは1983年9月24日の本拠地での阪神戦です。マウンド上は2010年1月に57歳の若さで亡くなられた小林繁さん。かつて東スポで専属評論家をされていたこともありましたね。
その日の小林さんは、序盤から制球が安定しなくて5回5安打4四死球5失点で負け投手になられたんですが、本来の投球ができずにマウンドでイライラされていたんだと思います。「15勝できなければ引退」と強い決意で臨んだシーズンでもあり、当日は13勝目のかかった試合でした。
問題のシーンが展開されたのは阪神の1点リードで迎えた2回です。一死から衣笠祥雄さんが死球で出て、長嶋清幸が逆転2ラン。続くアイルランドは遊ゴロに倒れて二死となり、私が打席に立つとインコースに厳しいボールが来たので「当たった、当たった」とやったのです。観客席はドッと沸きましたが、小林さんにはえらいけんまくで怒られましてね。「そんなに当たりたいなら当ててやる!」と。球審に死球と認めてもらえず、華麗なアンダースローから投じられた次のボールがズドンと来たんですよ。左脇腹に。
あまりに痛くて試合後に検査を受けたら、肋骨が折れていました。自分でまいた種だから、恥ずかしくて骨折していたとも周囲に言えず、ボルタレンやら痛み止めの薬を飲んで、患部にはサラシを巻いて翌日以降も試合には出続けました。それにしても、あの時の小林さんは怖かったです。マジで。
この場を借りて謝っておかなければならない人が、もう一人いました。審判としてオールスターや日本シリーズも含めて通算3062試合に出場された平光清さんです。どの試合だったかまでは覚えていないのですが、レギュラーとして出始めたころだったから83年ぐらいですかね。例によって内角球に「当たった」とやったら、球審の平光さんに死球と認められて出塁できたんですが、本当は当たっていませんでした。天国の平光さん、ほんまに申し訳ありませんでした。
私は昔から“ひと言多い”タイプだったんですよ。通知表のコメント欄にも「ひょうきんで授業中にジョークを言うこともありますが、人の立場を考えられる真面目な子です」なんて書かれていました。先生も気遣ってくれたんでしょうけど、要はひと言多かったんでしょうね。県立広島商高時代にも昨年12月に亡くなられた迫田穆成(よしあき)監督に、よう怒られたもんです。次回からは、どんな子供だったのかについて書いていきましょうかね。












