【達川光男 人生珍プレー好プレー(4)】私の「野球」との出会いは広島市立牛田小学校に通っていた低学年のころです。自宅近所に専売公社の官舎があり、その棟と棟の間の空きスペースで軟式テニスで使うようなゴム製の軟らかいボールを手で打ち返して遊んでいました。友達がいれば投手と打者に分かれて、一人ならボールで壁当てをしたりね。
実はこれが、ハイレベルな野球だったんです。やったことのある方なら分かると思いますが、指で押せばボールが簡単に変形するから、今どきのプロ野球選手のような変化球を投げることができました。球種も多種多彩でドロップボールにシュート、今思えば大谷翔平のスイーパーのようにグイッと曲がるボールも投げられたんです。
高学年になると子供用の木のバットを使うようになりましたが、野球漫画のような曲がり方をする変化球に対応するのは簡単じゃありません。こうした遊びから高いレベルの野球に順応する力が養われたのかもしれませんね。
のちの野球人生につながったという点では、小学校3年生ぐらいから始めたソロバンも習っといてよかったと思います。タクシー会社を経営していた父から「お釣りをごまかされないように足し算、引き算、掛け算、割り算と計算ぐらいはできたほうがいい」と言われたのがキッカケでね。ちょくちょくサボっていたけど、最終的に2級まで取りましたよ。
高校が県立広島商業だったので簿記の授業に生かすことができたし、プロに入っても1983年6月に禁止されるまで行われていた乱数表を使ってのサイン交換も苦にすることはありませんでしたから。小さいうちからいろんなことに挑戦しておけば、将来何かの形で役立つもんです。
小学校では算数と並んで体育も「5」でした。身体能力は高いほうでしたから。5年生のときには体力測定のソフトボール投げで55メートルを投げて1位になって周囲を驚かせたもんです。「プールまで届いたのは達川だけじゃ」と。
負けん気の強さも人より強かったようで、特に運動で負けると悔しがっていました。徒競走で毎年のように益田くんいう体格のいい子に負けとってね。6年生のときはインコースから差しにいったけど、カーブで吹き飛ばされて6位。翌日から「どうすれば益田くんに勝てるか」を真剣に考えて鍛えまくりましたよ。
1位になってもゴール後にもらえるリボンの色が変わるだけなんですけどね。「まずは体を鍛えないと」と鉄棒で懸垂、ロープのぼり、腕立て、あおむけに寝てコンクリートブロックの上げ下げ…と、いろんなことをしました。「益田くんと一緒におって同じことをしとったら、いつまでも一番にはなれん」と一緒に遊ぶことさえ拒んでいたほどです。
そんな私が5年生から始まるクラブ活動で選んだのは、野球ではなくサッカーでした。












