【達川光男 人生珍プレー好プレー(2)】プロとアマの違いは技術やレベル、給料だけではありません。アマチュアでは「審判は絶対」と教わりますが、プロでは「アピール」が許され、ときに“しなければならない”ことがあります。

 1982年7月4日の中日戦で、3―3の8回二死満塁から代打に起用された長内孝が当てられたのに死球をアピールせず、あげく三振に倒れて古葉竹識監督から大目玉を食らったことは前回もお話ししました。その試合は9回に4点を奪われてカープが3―7で敗れたのですが、もし長内が死球をアピールして球審に認められていれば押し出しで勝ち越し。チームは勝っていたかもしれません。

 ここから私の野球、いやプロ野球に対する意識が変わったように思います。この翌年に初めての3桁となる116試合に出場し、レギュラーに定着できたのも偶然ではないでしょう。

 ついでに言うと、死球へのスタンスは人それぞれです。ヒットを打つことでアピールしたい二軍選手や、打つ自信のある一軍の中軸打者なら当たっていても「当たっていない」と言う選手はいます。衣笠祥雄さんもそうでした。8番打者で、県立広島商高時代に栃木・作新学院のエースで「怪物」と称された江川卓との対戦を前に「当たってでも塁に出ろ」と教育されてきた私はユニホームをぶかぶかにして“当たりやすく”したもんですよ。

 83年からフジテレビで放送されていた「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」で面白おかしく取り上げてもらい、おかげで全国のファンに「達川」の名前を覚えてもらうようになりました。現役引退から32年、最後にユニホームを着たソフトバンクのヘッドコーチを退任してから6年が経過した今も、こうしてメディアに取り上げてもらえるのは「当たったアピール」のキッカケを与えてくれた長内や古葉監督、絶妙なナレーションをしていただいたみのもんたさんのおかげです。

 そういえば、みのさんから「宇野くんと達川くんには、俺を世に出してくれて感謝している」とお礼を言われたことがありました。79年に文化放送を退職したあと、珍プレーのナレーションから再ブレークし「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ系)で不動の地位を得ることになったということでね。もちろん宇野くんとは東スポで評論家をしている「ヘディング事件」でおなじみの宇野勝のことです。

 ただ、物事にはよく思ってくれる人がいれば、そうでない人もいます。ファンが喜んでくれた私の「当たったアピール」も例外ではありません。やりすぎて痛い目に遭ったこともありました。