【赤ペン!特別編 赤坂英一】私が野球記者となった1988年、北別府(学)さんは11年連続2桁勝利を継続中。赤ヘル軍団・カープの大エースで、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた印象が強い。

 北別府さんの4歳年下の捕手・山中潔はサインを出す時「ペイさんに首を振られると、思わず指がどもった」という。

「そ、外の真っすぐですよね?とサインを出すと、違う。カカ、カーブですか? 違うよ。では、ススス、スライダー? とサインを出して、おお、そうじゃ、とうなずく。そんな感じでしたね」

 恐る恐るサインを出しながらも、北別府の要求通りにしたら「3試合に2試合は勝てました」。北別府さんはそうやって若手捕手に勝てる配球を教えていたのだろう。

 そんな山中の先輩で、正捕手・達川光男は当時、北別府さんのスライダーをこう絶賛していた。

「極端なことを言やあ、北別府のスライダーは、100球投げたら100球同じ軌道を通って100球ストライクが取れるんよ。限りなく100%に近い確率でストライクが取れる。あんな投手はほかにおらんじゃろう」

 それほどコントロールには絶対の自信を持っていただけに、ボール判定に不満をあらわにすることも多かった。そんなとき、達川は北別府さんをこう言ってなだめている。

「気持ちはわかるんじゃが、いまのはボール半分だけ外れとったんよ」

 その途端、北別府さんはたちまち気色ばんで「何、半分も外れとったんか」。以降、達川さんは北別府と組む時だけ「ボール4分の1外れとった」と言うことにした。

「ホンマの話よ。もっと言うたら、北別府は縫い目一つよ。縫い目一つの出し入れができるんよ」

 大エースとしての貫禄は、それほど精緻な技術に裏打ちされていたわけだ。その半面、捕手に気を遣う一面もあった。

「(得意の)シュートをうまく使ってください。それから、いいところでカーブをまぜてほしい。あとはお任せしますよ」

 達川にはそれだけ言うと、いつもサイン通りに投げていた。控えの山中が受ける時とは違い、自分よりも1歳年上の正捕手には北別府さんなりの配慮をしていたのだ。

 200勝を前にした92年は足踏みが続いた。チームにも常に重苦しい雰囲気が漂っていた中、ナゴヤ球場での中日戦でようやく大記録を達成。

 8回を1失点にまとめた北別府さんは「正直、ホッとしました」とコメント。強面の大エースが見せた笑顔が、いまも私の記憶に残っている。