1970年代後半から広島のエースとして活躍し、現役通算213勝をマークした北別府学さんが16日、療養先の広島市内の病院で死去した。65歳だった。
北別府さんは2020年1月に成人T細胞白血病(ATL)を公表。同5月には息子をドナーとする骨髄移植を受けたが、その後も転倒によるケガや大腿骨骨折、尿毒症、敗血症などを患い、入退院を繰り返していた。直近では帯状疱疹と戦い、妻の広美さんによって更新されたブログでは「ピンチを切り抜けました」とも報告されていたが、ついに帰らぬ人となってしまった。
マウンドで、病床で、戦い続けてきた北別府さんが、65歳の若さで天国へと旅立った。20年に血液がんの一種である白血病を患って以降は病気やケガとの戦いの連続。それでも現役時代に通算515試合に登板し、5度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献したエースは不屈の精神で立ち上がってきた。20年5月に骨髄移植を受け、21年1月にはコメンテーターを務めていた「みみよりライブ5up!」(広島ホームテレビ)に録画出演。同3月には1年2か月ぶりに同番組で生出演も果たした。
11年8月4日から始めたブログも精力的に更新していた。ネタは本業の野球だけにとどまらず、趣味の家庭菜園に関する近況報告もファンの間で人気を博した。最後に自身で更新したとみられる今年1月31日には「久々の散歩」とのタイトルで「ジィジやっと散歩に行けた!」と孫が報告しに来てくれたことをつづっていた。
自宅療養する北別府さんを最後に苦しめたのは帯状疱疹だった。妻の広美さんによって2月4日に更新されたブログによれば、体調が優れない日には1日のほとんどを寝て過ごしていたという。ただ、同21日更新のブログには「ピンチを切り抜けました」とのタイトルが冠され、スープやおかゆなどを少量ながら食べられる状態になったことが報告されていた。大谷翔平投手(28=エンゼルス)がWBCデビューした3月9日には、夕食後に目を閉じて横になりながらも日本の勝利を楽しんでいる様子だったという。
鹿児島県出身の北別府さんは、宮崎・都城農高で1年生からエースとして活躍。甲子園出場の夢は果たせなかったが、広島が初めてリーグ優勝した1975年のドラフト1位でプロ入り。2年目の77年には先発ローテーション入りし、78年から88年まで11年連続で2桁勝利を挙げた。
その間に2度の最多勝など数々のタイトルに輝き、自己最多の20勝を挙げた82年と18勝でリーグ優勝に貢献した86年は沢村賞にも選ばれた。89、90年は規定投球回に届かなかったものの、91年には11勝4敗で自身3度目の最高勝率のタイトルを獲得し、5年ぶりのリーグ制覇の一翼を担った。通算213勝はカープ歴代1位。抜群の制球力から「精密機械」の異名を取った。
94年限りで現役引退。95年3月12日のダイエーとのオープン戦(旧広島市民球場)で行われた引退セレモニーでは、大分県別府市から「鹿児島県出身で別府市と縁もゆかりもない北別府さんは、その活躍で別府市の名を全国に広めてくれた」と妙な感謝もされた。
95年以降は野球解説者として活動し、01年に投手コーチとして古巣の広島に復帰。04年の退団後は評論家として活躍するかたわら、10年から沢村賞の選考委員を務め、12年には野球殿堂入り。19年8月に「北別府学チャンネル」を開設し、ユーチューバーとしても情報発信を続けた。
広美さんが「頑張っています」のタイトルで更新した2月4日のブログには、広島ホームテレビから送られてきた顔写真入りのプロ野球取材ID(NPBパス)の画像とともに「病気になってからもキャンプインを楽しみにしていて主人にとりまして何よりも心強いお守りとなります!」とつづられていた。65年の生涯は、北別府さんにとって短すぎたに違いない。













