【赤ペン!特別編・赤坂英一】広島の新入団選手発表で、新井貴浩監督が新人8人の家族に語りかけた言葉が印象に残っている。
「広島という町はすごく温かい町です。カープと深く結びついてます。12球団一、家族的で温かいチームだと、そこは私が自負しております。どうぞ、ご安心して応援していただければと思います」
かつて、新人の家族にこんなに優しく、親しみを込めて語りかけた広島の監督がいただろうか。広島出身で、35年カープを取材している私には、特別な感慨があった。
新井監督自身は1998年、ドラフト6位指名を受けて駒大からカープに入団している。当時は「12球団一温かい」どころではなく、「12球団一厳しい猛練習」のチームとして知られていた。
新井のルーキーイヤーの99年、2000年シドニー五輪に出場する日本代表のアマ選手が研修のためにプロのキャンプに参加したことがある(当時の日本代表はプロアマ混成チーム)。数人ずつ12球団のキャンプ地に派遣されたアマ選手へのアンケート調査で「最も行きたくない球団」と名指しされたのが広島だった。
当時は「胃が汗をかくまで練習するんじゃ!」が口癖の達川監督時代。新人の新井も連日朝から晩まで練習に明け暮れ、汗びっしょりで泥だらけになっていたものだ。
しかし、公称体重102キロ(身長189センチ)の今と違い、当時の新井は89キロと見るからにガリガリ。日南キャンプ前半でリタイアしてしまい、広島へ強制送還された。体調が回復して再合流することになると、自らバリカンで頭を丸坊主にしたのが生真面目な新井らしい。ちなみに、私が初めて新井を取材したのはその直後のことだ。
やせっぽちの新井は、1年目のキャンプでへこたれるわけにはいかなかった。もともと、将来を嘱望されて入団した選手ではなく、ツテを頼って広島に指名してもらった経緯があったからだ。
地元の名門・県立広島工では甲子園に行けず、駒大で好成績を残せたのも打点王となった4年秋のリーグ戦だけ。当時の太田監督には社会人入りを勧められている。
新井本人も「僕自身、プロは自分が入れるような世界じゃないんだなと思っていました」という。が、一方で「どうしてもプロになりたい」という夢も捨てきれなかった。
そこで、カープの不動のショートだった駒大の先輩・野村(のち監督)を訪ね、自分のスイングを見てもらった。この時、たまたま金本(のち阪神監督)が居合わせていたというのも、ファンにはよく知られた話である。
野村の推薦に加えて、やはり駒大の先輩・大下ヘッドコーチ(現東京スポーツ専属評論家)、渡辺スカウト部長が検討を重ね、ドラフト6位指名が決まった。新井は引退前年の17年、そうした裏事情を振り返って、しみじみ語ったことがある。
「僕は、カープに拾ってもらったんですよ。自分からカープを選んだわけでも、ぜひにと請われてカープに入ったわけでもありません。拾われて、育てられて、周りに応援してもらってね、やっとこうして一人前になれたようなものなんです」
8人の新人とその家族に送った「カープは12球団一、家族的で温かいチーム」とは、新井監督でなければ口にできない言葉だろう。若ゴイたちも新井さんの熱い期待に応えて頑張ってほしい。












