大谷は「努力の天才」。侍ジャパンのメンバーで投打二刀流の大谷翔平投手(28)は6日、阪神との強化試合(京セラ)に出場し、2本塁打の活躍で期待にさっそく応えた。今や日米を通じ誰もが認める唯一無二の存在はいかにして〝今日〟を迎えたか…。2015年から日本ハム時代に2年間、打撃コーチとしてサポートした野球評論家・柏原純一氏が、二刀流男の源流を語った。
【柏原純一「烈眼」】今筋骨隆々の両腕に、たくましい胸板…。目測でも分かるスイングスピード。他の侍選手とは違うのは、テレビ越しでも分かるほどだった。本塁打は2発とも、中堅方向。1本目は136キロの低めへのスプリット。敵バッテリーからすれば、その前の2球で150キロ超えの直球でファウルで押していた後に配した1球。並の打者なら結果、本塁打だとしてもバットに引っかかって右翼方向へ行くはずも、そうはならず。
2本目はフルカウントからの142キロに詰まり、バットを折りながらも、力で運んだ。どんな球が来ても動じないバット操作と変わらぬスイング軌道を描ける技術もさることながら、それを支える強靭な肉体はウエートトレーニングを中心とした日々の鍛錬の賜物だ。
現在に至るまでの過程で、何が特別か。193センチ、95キロの体躯が特別かと言えば、世界基準ではさにあらず。投打ともに「ドラ1」の評価を受けて入団したからと言って、成功の保証があるかと言えば、そうではない世界。投手と野手という2つの側面をレベルアップさせなければならかった彼は、文字通り〝24時間〟野球のことだけを考え、プロ生活のこの10年を送ってきたはずだ。
私がコーチを務めていた15年夏ごろにも、当時の主力選手からこんな話を聞いた。福岡遠征に向けて移動休日となった月曜日。投手陣が裏方スタッフの慰労やシーズンの残り試合での奮闘を誓い合うことも兼ねて「投手会」を開いた。一軍の先発ローテーション投手だった大谷は、チーム内での内輪の集まりに、当たり前のように顔を出したが、参加したのは一次会の食事まで。場所が福岡の繁華街・中州ということも踏まえれば、選手の〝お楽しみ〟はそこからだろう。
彼以外は全員、二次会の店へと繰り出したが、大谷は宿舎へと引き揚げたという。その選手が驚いたのは、夜の街をハシゴし、日付も変わったあたりの時間でのこと。宿舎へと戻るタクシーの車内で信号待ちをしていた時だ。チーム宿舎から近い場所にあるトレーニングジムからトレーナーと一緒に出てきたのが、大谷だったという。
当時はまだ20歳を迎えたばかり。野球選手ではなくても、遊びたい盛りの年ごろだ。だが、彼にとってはこれが当たり前の日常。感覚的な表現で言えば、他の選手と違うのは何かの〝がまん〟と引き換えに、その対価を得ようと期間限定で己を律しているわけではないということだ。
常に頭の中を支配していることがあるとすれば「もっとうまくなりたい」。それだけだろう。打者で遠くへ飛ばすとか、投手で速い球を投げる。職業人として、彼はその能力を磨くことを「求め続けて当然」と考え、行動する。他の選手より自分の可能性を磨くことに長けた〝努力の天才〟だからこそ、MLBでも成績面も含め、特別な存在でいられるのだろう。
私がいた当時、栗山監督の発案で彼のメディア対応を一日一度のみに限定した「大谷ルール」など、球団は極力、彼が野球に集中できる環境作りに何かと気を配っていた。だが、そんな〝気遣い〟も不要なほど、彼は1人の職業人として成熟していた。超一流になった現在でも、それは不変なはずだ。今の彼の頭にあるのは3年後、5年後の自分だろう。末恐ろしいとは、このこと。同時に楽しみでしかない。(野球評論家)












