【デンジャラスクイーンの真実#7】1985年1月15日。河田町(東京・新宿区)のフジテレビで全日本女子プロレスのオーディションが行われました。受からなかったら私の人生は終わりだと思いましたよ。この年は応募数が3500人くらいで、書類審査を通ってオーディションを受けたのが700人くらいだったと後から知りました。そうそう、このとき初めて見た芸能人が菅井きんさんだったんです(笑い)。

 フジテレビに約700人が集まって、泣いたり笑ったり、すごいことになっていました。1次で落ちた人は泣いているし、ダイナマイト関西は前の年も受けて私と同じ年も受けて落ちているのですが「何で自分が落ちるんだ!」って怒鳴ったって言ってましたから。

 オーディションには母親とプロレスラーを目指すことに大反対した祖父が付いてきました。テレビカメラとフラッシュの中で孫が頑張っている姿を見て「何とも言葉にできなかった」と言っていましたね。

オーディション会場。後列左から2人目が北斗(85年1月)
オーディション会場。後列左から2人目が北斗(85年1月)

 1次審査から2次、3次と進むにつれて、700から350人、100人くらいとバンバンいなくなっていきました。1年近く一緒に練習し、目黒で安いパンとか食べながら夢を語った仲間が1次で落ちてしまう。一番仲が良かった子も早めにいなくなって泣いている。17歳だったけど、その場で別れが付いてくる。別れって人生で何度でもあるけど、つらかったなって今でも思います。

 合格した時は覚えていますよ。だって、絶対に受かると思っていましたから。約700人の女の子を見て何となく…これは同期の堀田祐美子に聞いたらわかりますが、私は目立っていたと思います。身体能力の高さで。だって、平均台も渡れない人がいたんです。私がいた高校はソフトボール部が強くて、練習もすごく厳しかった。1年間、それを経験しているから何でもなかったのです。

 最後の質問は、何を答えたか覚えていませんが「何でプロレスラーになりたいのか?」みたいなのでした。ここは何を答えるより、ハキハキと答えることじゃないかなって幼いながら分かりました。テレビのインタビューで、何を言ってるか分からない選手がたくさんいましたから。

 同じように高校を辞めてオーディションに落ちてしまった練習生はたくさんいました。その子たちはどうしてるんだろうなって。55歳になって振り返ると、いろいろな意味でラッキーだったなって思います。

 この年の正規合格者は宇野久子、佐藤真紀、鈴木美香、西脇充子、岩本久美子、中島小百合、山崎涼子、相馬さおり、石黒泰子、岡林理恵の10人。私は倍率300倍以上の競争を勝ち抜いたのです。そして補欠合格は堀田祐美子、仲前芽久美、坂本あけみ、浅井恭子、神崎文枝でした。だけど、オーディションを合格した私は、ひと息つく間もありませんでした。