【デンジャラスクイーンの真実#3】小中学校時代の私は体力に自信がありました。小学校は歩いて片道1時間、中学校は自転車で片道40~50分かかりましたから。9年間の通学で鍛えられたのは事実です。
とにかくおてんばでしたから、父親は年中、みかん箱を持って謝りにいっていました。中学校時代は悪いこともしました。ちょうど世の中が不良ブーム。(ロックバンド)横浜銀蝿や(暴走族風の猫のキャラクター)なめ猫、(不良になった娘との物語を描いたドラマ)積み木くずしとかが流行した時代でした。
もともと悪党も好きでした。でも、仮面ライダーだったらショッカーに魅力は感じないんです。人造人間キカイダーって知ってますか? あの敵に、黒いハカイダーというのがいて、それが格好いいなと思いました。
悪いことといってもスカートを長くしたりとか、カバンをペチャンコにしたりとか、そんなものです。ケンカもしましたね。ただ、田舎だったので、あくまで学校の中の派閥内でのケンカ。警察のお世話になるとかはありませんでした。
あっ、でも部活動は入っていましたよ。昔の中学校は絶対に部活に入らなくてはいけなくて、帰宅部はありませんでしたから。もともと足が速くて陸上部に誘われました。普通は1回入ったら3年間は部を変えることがないのですが、ソフトボール部の先生から「こっちに来た方がいい」って言われ、中2からソフトボール部に入りました。
運動神経はよかったのですぐにレギュラーになり、センターで4番を任されました。肩も強かったですし。朝練もしっかり行ったし、日曜日も大会があるから遊んでいる暇はありませんでした。
そうそう、このころ野球部のピッチャーが好きだったんです。初恋ってやつですかね。小学校から一緒の人だったんですが、体が大きくなっていくにつれて、格好いいと思ったのでしょうね。どうなったかって? 今もそうなんですが、格好いいと思ってもすぐ飽きるんです(笑い)。韓流ドラマを見ててもそんな感じですから。
ソフトボールの実力があった私は推薦で都内の女子高に通うことになりました。今度は電車で1時間半かけて通いました。ソフトボールの強豪校だったから、練習が厳しくてね。ひどい捻挫になったのを覚えてます。
でも、練習に参加できないときは同級生たちと海に行ったり京都へ旅行したり、ショッピングに行ったり、ようやく高校生らしい遊びをしました。このころです。本名は忘れちゃいましたが、えっちゃんという仲のいい友達がいて「後楽園ホールに行こう」と誘ってくれたんです。これが私の人生を変えることになるなんて、もちろん、その時は思いませんでしたけど。