【平成球界裏面史 カネやん大暴れ編】プロ野球の平成年間は「乱闘と退場の時代」でもあった。

 平成元年(1989年)に年間退場者が最多タイの12人に上ると、翌年には早くも6月に新記録13人に到達。近鉄タフィ・ローズの最多退場回数14、1試合最多退場者数3人など退場にまつわる血生臭い記録のほとんどは平成に作られている。

 当時、私が取材した中で最もド派手な退場劇を繰り広げたのがロッテ・金田正一監督。殿堂入り監督として現場復帰した平成2年(1990年)6月23日の西武戦だった。

 4回、村田兆治が打たれたタイムリーを、金田監督が「ファウルや!」と五十嵐洋一三塁塁審に猛抗議。リクエスト制度のないこの時代、「これからビデオを見るぞ! 間違ってたら審判辞めるか!」と詰め寄っている。

 結局、判定は覆らず。これが伏線となり、ロッテ1点リードの6回、2番手・園川一美が高木敏昭球審にボークを取られて同点とされると、金田監督の怒りが爆発した。

「どこに目ぇつけとるんじゃ!」と吠えながら、高木審判を両手でドンと突き飛ばすと、利き腕で左フックを見舞い、左足で回し蹴り。「退場!」と言われてさらに頭に血が上ったか、金田監督は自らマウンドに上がり、セットポジションのモーションを演じて、「どこがボークなんじゃ!」。

暴言と暴行が止まらない金田監督
暴言と暴行が止まらない金田監督

 その上、選手全員を三塁側ベンチに引き上げさせ、「もうやめや!」と〝放棄試合宣言〟。さすがにこれだけは球団幹部に説得されて引っ込めたものの、退場となった後もベンチ裏で報道陣に審判批判をまくし立てた。

「判定はデタラメ、審判はメチャクチャや。このリーグはダメなリーグ。明日からパ・リーグを追放されてもええ。ワシが喝を入れんでどうする」

 金田監督に暴行された高木球審は試合後、病院へ向かい、頸椎捻挫、右大腿部打撲などで10日間の加療を要すると診断された。所沢署も捜査に乗り出す騒ぎとなって、金田監督はパ連盟(現在セとともにNPBに統一されて解散)に出場停止30日間、制裁金100万円の重い処分を科された。

 だが、金田監督の舌鋒は一向収まらず、「今の審判はとてもとても下手だ。信じられないくらい下手クソや。コミッショナーが学校を作って教育したらいい」と言いたい放題。出場停止期間中も、当時の本拠地・川崎球場ではスコアボードの裏に隠れてベンチにサインを送っていたという。

金田監督に頭を蹴られたことがある近鉄・トレーバー
金田監督に頭を蹴られたことがある近鉄・トレーバー

 金田監督は翌年5月19日の近鉄戦でも、平成ならではの〝名場面〟を残した。自分に突進してきたトレーバーの頭に前蹴りを一発。このシーンが何度もテレビで放送されたのち、最下位に低迷した責任を問われ、僅か2年で解任されている。

 金田氏は晩年、数々の暴言を振り返り、「昔のパ・リーグはお客さんが少なかったので、試合を盛り上げようと思ってやった」と吐露。コーチや審判に「大声を出すぞ」と予告して抗議したこともあったという。が、平成2年の大暴れはやはりやり過ぎだった。

通算8度目の退場処分を受けた試合後、記者たちの質問に応じる金田監督(1991年5月)
通算8度目の退場処分を受けた試合後、記者たちの質問に応じる金田監督(1991年5月)