【取材の裏側 現場ノート】ヤクルト、巨人、DeNAで活躍し、DeNA監督も務めたアレックス・ラミレス氏(48)が13日、メジャー経験後に来日した外国人として初めて「プレーヤー表彰」での野球殿堂入りを果たした。

 本塁打、打点の2冠王2回(2003年、10年)、首位打者1回(09年)、そして2000安打達成とズバ抜けた成績を残したが、それでも謙虚な姿勢は変わらず。監督時代の「ラミちゃんと呼んで」との言葉に従って、あえてラミちゃんと呼ばせてもらいます。

 選手としてDeNAの2年間、監督として3年間取材させていただいたが、ラミちゃんは常にブレない心を持っていた。

 DeNA移籍1年目の12年、選手として円熟味を増していたラミちゃんは右足肉離れの影響もあり、序盤は苦しんだ。試合前はナインと離れて、別室で入念にストレッチを繰り返していた。中畑監督らの心配をヨソに主砲は「だんだんと調子は上がっていく」と信念は揺るがなかった。その言葉どおり137試合で打率3割、19本塁打、76打点と数字をまとめてみせた。

 また、監督2年目の17年には「8番・投手」の秘策を初披露。「9番・投手」に比べて1年間で約50打席、投手の打席数が増えることになる、プロ野球の長い歴史でほとんど例がなかった試み。私はラミちゃんに何度も疑問をぶつけたが、そのたびに強い決意にはね返された。

 今になって思えば、当時の得点力の低さを改善するための最善手だったのだろう。「8番投手」の方が勝率が高い年もあり、20年に監督を退任するまで「ラミちゃん采配」の代名詞となった。

 決断に当たってはデータに重きを置いた。選手の球場別成績を重視する独特の起用法は研究・分析によるものだった。17年に3位から進出した日本シリーズでは3連敗から2連勝とソフトバンクをあと一歩まで追い詰めたが、ラミちゃんは「短期決戦はしっかり準備をするということ。準備をしてなくて決断をしても選手を混乱させる」と胸を張っていた。

 分析のルーツはヤクルト時代の同僚・監督だった古田敦也氏の配球読みと教えてくれた。13年にはその分析力で日本通算2000安打を本塁打で達成。「誰もが認める一流プレーヤーになれる」(ラミレス)と熱望していた名球会入りを果たした。

 そして今回の野球殿堂入り。固い意思と分析力でラミちゃんが、また1つ日本球界の歴史の扉を開いた。ラミちゃん本当におめでとう。(元DeNA担当・坂庭健二)